Wednesday, January 06, 2010

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。

ご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。前回の更新から僕の生活は一気に忙しくなり、その上家でインターネットが使えなくなったことを理由に、またサボってしまいました。

明けましておめでとうございます。昨年も応援してくださった皆様、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年10月に始まったドイツの生活も、もう3ヶ月が経ち、後残すところ1ヶ月半。この場では書ききれないほど色々な生徒や人に出会い、様々なことを学び、そして沢山のクラシック音楽家を生み出した国の風を感じてきました。そのすべてが音楽家として生きている僕にとっては最高の刺激となり、「僕はなんて幸せ何だろう」と思っていた昨年の12月中旬、僕の脳裏に突然、「んじゃあ、ドイツに住んでみればいいじゃん」という声が・・・

この声、高校3年のときにも聞こえました。あの頃の僕は偏差値もそんなに良くなかったのに
高校の化学の先生になることに情熱を燃やしており、当時の担任先生と一緒に北海道教育大学の化学課程を見学するため、同大学に行ってました。説明会がちょうどお昼休みの後だったので、それが始まる前に担任を外に待たせてトイレに入りました。

そしたら急に「音楽に行かなくていいの?」と誰かに言われたように、そう頭によぎったんです。

「そうだよね」と変に納得した僕は、トイレの外で待っていた担任の先生に「俺、やっぱり音楽の説明会に行ってきます」と言い残し、ピアノの練習している音の聞こえる方に向かいました。

説明会の行われている部屋を見つけると、そこには聴音ばっちり、ソルフェージュばっちり、新曲視唱ばっちり、実技はもちろんばっちりと言わんばかりの優等生の5人が既に説明を受けており、音楽課程の説明会の登録をしていなかった僕は、先生からも受講生の方からも、誰ですか?という目で見られた上、聴音もソルフェージュも新曲視唱も、それがいったい何なのか知らないという状態がばれ、これでもかという位赤っ恥をかいてきました。

でも、それが無ければ今の自分は無かったでしょう。

きっとこの「ドイツに住んでみればいいじゃん」もどんな風にかはまったく想像がつきませんが、また赤っ恥をかくことになるのかもしれません。でも、赤っ恥をかけばきっと自分は強くなるし、もしそこまで恥をかかなかったとしても、そう思えたことが自分には大きな成長のステップの一つになるのだと思います。どんな風な形でドイツに住むことになるのかはまだ分かりませんが、またはっきりとお知らせが出来るようになったら、この場で述べたいと思います。

という訳で、ひとまず今年の6月一杯でアメリカ生活にピリオドを打つことに決めました。

2001年7月31日、初めて乗った飛行機の中から今は無きニューヨークのWorld Trade Centerを見て、自分はこの国で変われると思ったあの日が、昨日のように思い出されます。アメリカに来て沢山の素晴らしい人に出会い、そして様々な経験を積み、僕の世界が広がりました。その人たちから離れることになるのは非常に寂しいですが、僕の中でその人たちの存在はずっと生き続けますし、そして何よりも心から感謝しております。

男布谷、30歳にして大胆な決断だとは十二分に承知ですが、どうぞこれからも引き続き応援をよろしくお願いいたします。

そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

布谷史人