皆様、大変ご無沙汰しておりました。
ご無沙汰しすぎてしまい、書きたいことも、書かなければいけなかったことも沢山あったのですが、それはまたいつかの機会にという事で、今回は今機能できていないウェブサイトに代わって、ここで演奏会の告知をさせてください。
(ウェブサイトは、近日中に新装開店致します。)
2012年7月22日(日)
14時半開演(14時開場)
秋田県湯沢市雄勝
雄勝文化会館オービオン
プログラム
無伴奏バイオリンソナタ第2番より (J.S.バッハ)
Three Moves (P. ランスキー)
ハンガリア狂詩曲第2番~マリンバ3台の為の (F.リスト)
春よ、来い~マリンバ3台の為の (松任谷由美)
赤とんぼ変奏曲 (高田明枝)
ふるさとの四季~マリンバ3台の為の (源田俊一郎)
他
マリンバ共演:誉田広耶、沼倉真理子
一般 2000円 (当日2300円)
学生 1000円 (当日も同額)
お問い合わせ:コンサート倶楽部ゆざわ 0183-72-1234 (渡部様)
今回の演奏会では、初めてマリンバトリオをプログラムに組んだコンサートとなりまして、
数曲、トリオ用にアレンジさせて頂きました。
共演者である誉田君、沼倉さんは山大の後輩なのですが、
しっかりものの頼もしい共演者で、
リハーサルではいつも助けられながら、演奏させてもらってます。
充実した時間となりますよう、心を込めて一生懸命演奏させていただきますので、お近くの方もそうでない方も、興味がおありで時間のある方は是非お越しください。
Saturday, July 21, 2012
Thursday, December 29, 2011
2011年
以前のブログ更新から、7か月以上の月日が経ってしまいました。皆様は、いかがお過ごしでしょうか?
ブログに何度も帰ってこようと試みたのですが、素直にここに戻ってきたいと思うまで待っていたら、今日になってしました。
今年も終わりに差し掛かり、ここ最近特に2011年を振り返っていたのですが、今思うと昨年末にドイツに拠点を移してから本当に様々な事があったように思います。その中でも東日本大震災に関しては、簡単に言葉に出来ないような出来事でしたが、その震災の事を含め、この7か月間は様々な事を心の中で感じながら一生懸命過ごしてきました。
音楽家の活動としてはとても充実した時期で、ゼルツマン・マリンバ・フェスティバルの為に約一年ぶりのアメリカ訪問、東京でのデビューリサイタル、名古屋、京都でのコンサート、そして安倍圭子先生のマリンバアカデミーへ講師としての参加、学校での行事等々、沢山のお仕事をさせて頂いていました。
ただ、自分の心の中で抱いていた様々な思いが消化されずに、無我夢中で音楽に向かっていたことが一番の理由だったのでしょう。京都での演奏会が終わった7月下旬から音楽を奏でることはもちろん、マリンバの音色も聴くことも出来なくなってしまい、しばらくの間マリンバから離れた生活を送っていました。それと同時に周りが見えなくなってしまった時期でもあり、東京、名古屋、京都での公演をはじめ、その他の演奏会も沢山の方々のお力添えなしでは成しえなかったことであり、深くお礼を申し上げるのも出来なくなってしまった時期でもありました。その失礼を、この場を借りて心からお詫び申し上げたいと思います。
その状態から素直にマリンバを演奏したいという気持ちになるまでは沢山の月日が必要でしたが、心で感じてきた事を見つめ直し、考え、感じた様々な事を心穏やかにゆっくり受け止めていく過程の中で、自分という人間をまた少し以前より知ることが出来た気がしています。
沢山の優しさが無ければ2011年を今のような温かい気持ちで終えられることが出来ませんでした。その沢山の優しさには心から感謝するとともに、沢山の演奏会を控えている来年に向けて、この温かい気持ちを温め続けていければ、と思っております。
2012年も皆様にとって穏やかに幸せが感じられる日が沢山ありますことを、心からお祈りいたしております。
今年もありがとうございました。
布谷史人
Wednesday, May 11, 2011
5月14日、コンサートのお知らせ
ホームページのカレンダーのページには書かせてもらってますが、再度ここでも宣伝させていただきます。
5月14日(土)の14時から、名古屋市の連教寺におきまして演奏会をいたします。何名かの方から「檀家さんのためだけのコンサートでしょうか。」というお問い合わせがありましたが、一般の方でも入場できるコンサートです、とのことでした。
クラシックの作品から、日本の歌をマリンバ用に編曲したものを、水野みどり先生との共演を交えながら演奏いたしますので、お近くの方でご都合のつく方はご来場頂けますと幸いです。
詳細はこちらをご覧ください。
Friday, May 06, 2011
ラジオ出演
大変急なお知らせですが、本日5月6日(金)の16時頃より、KBS京都放送のラジオ番組「金曜 やのパンチ★」に出演いたします。
KBS京都放送1143kHz, KBS滋賀放送局1215kHz, 福知山局1485kHz, 舞鶴局1215kHzで、関西全域で放送されるそうです。
このブログを観てくださった方でお時間のある方、是非お聞きになってください。
Sunday, April 24, 2011
東日本大震災、そしてマリンバ・デイズ (誉田君 その3)
東日本大震災で犠牲になられた方のご冥福をお祈り申し上げますとともに、遺族の方々には謹んで哀悼の意を捧げます。そして、被災された方には心からお見舞い申し上げます。
3月11日の地震の際、僕は秋田市に居ました。3月13日にコンサートを控え、そのリハーサルが始まった直後の事でした。揺れの大きさも、揺れの時間の長さも、僕が今まで感じた中で一番大きなものでした。地震直後に携帯からラジオを流し、今回の地震の震源地が宮城県沖とのことが分かり、仙台から今回の演奏会のために秋田に入られていた方々は家族、そして仲間の無事を祈るように聴きいられていました。僕も、家族はもちろん、誉田君そして宮城県に住んでいる友人の無事をとにかく強く祈っていました。
地震から1日半後、ようやく電気が通り、つけたテレビを観て言葉を失いました。。。地震の被害はもちろん、津波の被害、そしてさらには原子力発電所の状況を映像で観ていくうちに家族のことがたまらなく心配になり、自分がドイツに行くことの意義、音楽家として生きることの意味が分からなくなりそうでした。ドイツへの出発を数日後に控えていたのですが、それを断念しようかとも考えていたほどでした。
僕の家族はもちろん、沢山の方々から温かいお言葉を頂き、そしてお力を借りて何とかドイツには戻ってきたものの、自分の心が不安定になってしまったようで、4月8日から10日に控えていたマリンバの小さなフェスティバル「マリンバ・デイズ」も「心ここにあらず・・・」の状態で、準備を進めていました。
そんな中、今回のマリンバ・デイズのゲストとして招へいしていた誉田君がドイツにやってきました。
彼は宮城県多賀城市出身。彼の街では石油コンビナートが燃え、津波の被害もあった事はニュースでも観ていましたが、僕と、そして彼を駅まで車で迎えに行ってくれたデトモルトの生徒ユキ君と、誉田君から聞く被害の実態の話に言葉を何度も失いました。
被害がそんなに大きくもない秋田にいたというのに、僕はニュースだけを観て心が不安定になっていたのですが、被災者としてドイツに来るまでの約20日間被災地で生活していた彼の心のうちはもっともっと辛く、重いものだったに違いないはず、と話を聞きながら感じていました。
しかし・・・翌日のリハーサルで聴いた彼の音は僕のものとは全く違い、地震で感じていたはずの恐怖や不安は一切音から出ていないのはもちろん、もっともっと芯のしっかりした、そして音楽を奏でることに意義を見出しそれを素直に喜んでいる、まさに音楽家の音でした。そんな彼の音を3時間を聴きながら、自分を恥じ、そしてリハーサルの後半は誉田君のその音にのせられ、音楽をすることの喜び、そして意義を見出せた、音楽家として充実した時を過ごしました。
その彼との音はリハーサルの2日目も、3日目も変わることなく、誉田君の力を借りて自分もやっと音楽を創る心を持つことが出来、音楽の持つ様々な表現の可能性を時間の許す限り2人で追求し、マリンバ・デイズの初日である僕たちの演奏会を無事に迎えました。本番の演奏は、僕は沢山反省するところはありましたが、信頼関係があるからこそ出来る、音を操る演奏が出来たと思うし、何より楽しかったなあ・・・
誉田君には、その演奏会の翌日、デトモルト音楽院の生徒のためにマレットの巻き直しのクラスも開いてもらいました。彼の持っている特別なコミュニケーション能力と言っていいのでしょうか、みんなもすぐに誉田君に打ち解け、そのクラスも盛況に終えられました。
そしてマリンバ・デイズ最終日は生徒の演奏会。これは涙ものでした。みんなそれぞれに色々な事を感じ、考えながらこの日のために準備をしてきたことが演奏を通して強く感じられたし、みんな個性豊かに、いい演奏を聴かせてくれました。それぞれが一人の音楽家でありながら、おこがましくも先生として指導させてもらった立場上、みんながどれだけ素晴らしかったか、ここで書くのは控えさせて頂きますが、でも今回の演奏を自信に変え、本番の演奏で見えた課題もそれぞれで消化し、そしてまた一つ強くなっていってもらえたら嬉しいなあ、とそんな風に思った演奏会でした。。。
誉田君には、新しくドイツで生活し始めた僕の背中を力強く押してもらいました。そしてマリンバ・デイズの成功には、彼の力も多大に影響しました。デトモルト音楽院の打楽器科一同の臨時の代表としてこの場を借りてお礼を申し上げたいと思います。「ありがとうございました。」
そして最後になりますが、被災地の皆様には、一日でも早く心に和平を感じられる日々が来ますことを、強く強く願いますとともに、微力ではありますが、僕も出来る限りの力で、そのために自分の出来ることを精一杯努力させて頂く所存でございます。
(何だか取り留めのない日記になってしまいましたが、小学一年生の時に僕が書いた作文「スキーに行って、それから寿司屋に行ったこと」に、一つ丸しかつけてもらえなく、そこに赤ペンで添えられていた先生のコメント「作文の内容の目玉は、一つでいいと思います。」を思い出します。)
Thursday, December 30, 2010
今年もありがとうございました。
またまたご無沙汰しております。
ブログに書く内容を色々と頭の中で練ってはいたのですが、人前に出て大きく発言するのに躊躇いがあったのでしょうか、ここに帰ってこれたのが結局今日になってしまいました。
自分にとって今年は本当に大きな年でした。ドイツ、アメリカ、日本を何度も行き来し、9年半住んだ第二の故郷でもあるボストンを離れ、マリンバの講師という自分の夢見ていた立場に自分を置くためにデトモルトに辿り着く。そしてその大きな動きの中にも、その動きに合わせるかのように様々な出来事が自分の身の回りでおきました。そのすべてがまだ自分の頭の中で整理をつけられていないので、この場で言葉にすることを今回は遠慮しますが、その大きな流れに流されそうになりながらも、沢山の方の力をお借りしながら何とか自分の両足で今こうして立っていられます。
終に来年は、自分の夢の一つであった東京でのデビューリサイタルを含め、3月は秋田、5月は名古屋、6月はアメリカでのマリンバフェスティバル、そして7月は日本の主要の都市でのリサイタルがあります。7月のリサイタルに関しての詳細は、1月中にウェブサイトで発表しますので、時間のあるときにまたここを覗いてやってください。
今年も沢山の方に応援いただき、心から感謝しております。
どうかよい年末をお過ごしください。そして皆様にとって幸せな2011年になりますよう、デトモルトからお祈り申し上げます。
ブログに書く内容を色々と頭の中で練ってはいたのですが、人前に出て大きく発言するのに躊躇いがあったのでしょうか、ここに帰ってこれたのが結局今日になってしまいました。
自分にとって今年は本当に大きな年でした。ドイツ、アメリカ、日本を何度も行き来し、9年半住んだ第二の故郷でもあるボストンを離れ、マリンバの講師という自分の夢見ていた立場に自分を置くためにデトモルトに辿り着く。そしてその大きな動きの中にも、その動きに合わせるかのように様々な出来事が自分の身の回りでおきました。そのすべてがまだ自分の頭の中で整理をつけられていないので、この場で言葉にすることを今回は遠慮しますが、その大きな流れに流されそうになりながらも、沢山の方の力をお借りしながら何とか自分の両足で今こうして立っていられます。
昨年の12月に急に自分の脳裏に「ドイツ行き」を促す何かがよぎり、ドイツ行きを決意をしたものの、今年この場でその事を言葉にしてから約一年、自分がこういう形でドイツに戻ってこれるなんて夢にも思っていませんでした。
アメリカでの生活は本当に大きなもので、そのすべてを一人で消化していくにはまだまだ時間が必要だと思います。でも、ようやくデトモルトでの新しい生活も始まり(クリスマス直前に新居に移りました。)、この町を自分の帰る第二の家と呼ぶようになるのも、そんな遠い日のことではないのかなと思い始めております。
と、言葉にすると、そんなことを経験し、感じた一年でした。
終に来年は、自分の夢の一つであった東京でのデビューリサイタルを含め、3月は秋田、5月は名古屋、6月はアメリカでのマリンバフェスティバル、そして7月は日本の主要の都市でのリサイタルがあります。7月のリサイタルに関しての詳細は、1月中にウェブサイトで発表しますので、時間のあるときにまたここを覗いてやってください。
今年も沢山の方に応援いただき、心から感謝しております。
どうかよい年末をお過ごしください。そして皆様にとって幸せな2011年になりますよう、デトモルトからお祈り申し上げます。
Thursday, September 30, 2010
誉田君 その2
今回のリサイタルツアーの大館公演、山形公演では、3月のブログに登場した誉田君の器の大きさに救われてました。前回も書いたけど、彼は弟のようでありながら、実は俺の兄なのではと思わせる、クールに落ち着いた、それでいて温かい人です。
そんな誉田君、最近ウェブサイトを立ち上げたので、皆さんにご紹介させてください。
http://hiroyahondamarimba.weebly.com/
今どきの手作りウェブサイトはここまで美しくなるのですね。俺がウェブサイトを立ち上げた2005年の秋頃は、手作りではこんなにかっこよくできませんでした。
というか、俺が不器用すぎるのかな・・・
誉田君は今、宮城県をベースに東北でソロや室内楽等の演奏活動をしています。彼は俺には持っていない色彩感と、大きな愛で :)、演奏を聴かせてくれます。お近くの方は是非彼の演奏会に足を運んでください。
そしてこれは前回も書きましたが、彼、マレットのまき直しがかなり上手なんです。俺のマレットのまき直しはすべて彼が手がけてますし、むしろ彼がまき直してくれたものでないと何だか演奏する気にならない、とまで思ってしまうほどです。欲しい音、音色に応じて、まき方の微妙な強さ加減や毛糸の種類もしっかり考えて巻いてくれます。(だよね、誉田君?)
ウェブサイトに連絡先が書いてあるようなので、入用の方は是非ご利用ください。
P.S.「誉田君」というタイトルでシリーズものにしたくなってます。
そんな誉田君、最近ウェブサイトを立ち上げたので、皆さんにご紹介させてください。
http://hiroyahondamarimba.weebly.com/
今どきの手作りウェブサイトはここまで美しくなるのですね。俺がウェブサイトを立ち上げた2005年の秋頃は、手作りではこんなにかっこよくできませんでした。
というか、俺が不器用すぎるのかな・・・
誉田君は今、宮城県をベースに東北でソロや室内楽等の演奏活動をしています。彼は俺には持っていない色彩感と、大きな愛で :)、演奏を聴かせてくれます。お近くの方は是非彼の演奏会に足を運んでください。
そしてこれは前回も書きましたが、彼、マレットのまき直しがかなり上手なんです。俺のマレットのまき直しはすべて彼が手がけてますし、むしろ彼がまき直してくれたものでないと何だか演奏する気にならない、とまで思ってしまうほどです。欲しい音、音色に応じて、まき方の微妙な強さ加減や毛糸の種類もしっかり考えて巻いてくれます。(だよね、誉田君?)
ウェブサイトに連絡先が書いてあるようなので、入用の方は是非ご利用ください。
P.S.「誉田君」というタイトルでシリーズものにしたくなってます。
Tuesday, September 28, 2010
感謝、そして目に見えない力
9月がようやく終わりに差し掛かった。今月頭から、京都、秋田、大館でのリサイタルツアーをさせていただいたのだが、7月、8月に自分は立ち止って考えていた分、9月は頭から全力で突っ走った感がある。
今日は今回の共演者であったAndrey君を成田空港で見届け、僕のリサイタルツアーにやっと終止符を打てた。彼が無事にデトモルトに帰り着くことを願いつつ、こうしてブログに来た。
実は今年4月の終わりから、左手首に今まで味わったことのない痛みを感じ始めていた。だが生活が出来なくなるという理由で治療のために演奏活動を止めるわけにはいかず、引き続き練習や演奏、そして楽器の移動を繰り返しながら、その症状を悪化させ、9年分の荷物をまとめなくてはいけなかったアメリカの引っ越し、そしてその引っ越しの疲れを引きずったままに迎えた7月頭のZMFの演奏で、その演奏の次の日から手首が回せない、さらにはマレットも握れない状態にまで悪化した。日本に帰国後、それが腱鞘炎と分かり治療を進めていたものの、中々治りが感じられず不安を感じていた最中、とある人の紹介で鍼治療の先生を勧められた。その先生のお力はもちろん、9月のリサイタルツアーに関与してくださった沢山の方の思いと優しさで、8月の最後の週あたりから何とか5,6時間練習できるほどまで回復した。
今まで腱鞘炎になった人を何度か見てきたし、僕が昨年度教えていたデトモルト音楽院の生徒でも手の痛みで悩んでいる子が数人いた。ただ、自分は腱鞘炎というものを患っていなかったので、その人たちの本当の痛みが分からなかったが、これで十分に理解できた気がするし、これからももっと深いレベルで分かってあげられる気がする。最初は腱鞘炎を患ったことを悔やんでいたが、今振り返るととてもいい勉強だったし、自分の身を削って自分の出来る精いっぱいの音楽を演奏してきたからこその証なのかもしれない、とそう感じられるようになった。(物事はプラスに考えれば、プラスなんですよね:)
その腱鞘炎のこともあり、「リサイタルのために精いっぱいの準備ができていないのではないか」、「この手が悪化したらどうなるのか」など色々な不安を抱えつつ、その中で共演者を迎え、そして短い期間でのリハーサルでまとめ上げて本番をするというのは、精神的にも体力的にも相当にきつかった。今回の共演者は、僕が彼のピアノの音色に衝撃と感動を覚え(本当は彼、マリンバ専攻生ですが)、招へいすることにしたのだが、実は僕とは全く違う頭脳派の中々の強者で、覚悟はしていたがリハーサルでは音で言い合いになったり、時には言葉でも言い合いになったり、本番直前までどうなるのか、どうしたらいいのか分からず頭の中はめちゃくちゃな状態だったこともあった。でも沢山の方が僕らの演奏に対して純粋に抱いてくださっていた「いい演奏会になりますように」というそういう思いの力と、演奏を楽しみにしてくださっているお客さんの力で、僕もAndrey君もかなり救われ、そしてどの3公演もリハーサルよりとは比べ物にならないくらいお互いを信じ、聴き合うことができ、出来る限りお互いを尊重し合えることができ、反省点はあるものの、お客さんに喜んでもらえるものが出来たのかなと終演の拍手、そして直にお客さんとお話しすることで感じさせていただいた。そして演奏を重ねていくたびに、落ち着いて色々なことを考えることができたし、2人で話し合いもできたし、少しずつAndrey君のことも理解しながら、音も近づけていけた。
そして今回のリサイタルツアーを進めていく中で、自分の周りで色々と働いている目に見えない力も感じた。でもそれは「自分がこれからも沢山の人の幸せを願いながら音楽を通してより多くの方の生活に少しだけ風を吹きかけたい」という想いを、マリンバという楽器を通して音にしていくため音楽を続けていくことが自分の道なのかもしれない、とそう思わせるものであった。
今回も沢山の出会い、そして優しさに触れたが、まだまだ十分なお礼が出来ておらず、申し訳ありません。この場を借りて、ひとまずお礼を申し上げたいと思います。
本当に、本当に、本当にありがとうございました。
(メールを送ってくださった方には、これからゆっくり返信いたしますのでお待ちください。)
今日は今回の共演者であったAndrey君を成田空港で見届け、僕のリサイタルツアーにやっと終止符を打てた。彼が無事にデトモルトに帰り着くことを願いつつ、こうしてブログに来た。
実は今年4月の終わりから、左手首に今まで味わったことのない痛みを感じ始めていた。だが生活が出来なくなるという理由で治療のために演奏活動を止めるわけにはいかず、引き続き練習や演奏、そして楽器の移動を繰り返しながら、その症状を悪化させ、9年分の荷物をまとめなくてはいけなかったアメリカの引っ越し、そしてその引っ越しの疲れを引きずったままに迎えた7月頭のZMFの演奏で、その演奏の次の日から手首が回せない、さらにはマレットも握れない状態にまで悪化した。日本に帰国後、それが腱鞘炎と分かり治療を進めていたものの、中々治りが感じられず不安を感じていた最中、とある人の紹介で鍼治療の先生を勧められた。その先生のお力はもちろん、9月のリサイタルツアーに関与してくださった沢山の方の思いと優しさで、8月の最後の週あたりから何とか5,6時間練習できるほどまで回復した。
今まで腱鞘炎になった人を何度か見てきたし、僕が昨年度教えていたデトモルト音楽院の生徒でも手の痛みで悩んでいる子が数人いた。ただ、自分は腱鞘炎というものを患っていなかったので、その人たちの本当の痛みが分からなかったが、これで十分に理解できた気がするし、これからももっと深いレベルで分かってあげられる気がする。最初は腱鞘炎を患ったことを悔やんでいたが、今振り返るととてもいい勉強だったし、自分の身を削って自分の出来る精いっぱいの音楽を演奏してきたからこその証なのかもしれない、とそう感じられるようになった。(物事はプラスに考えれば、プラスなんですよね:)
その腱鞘炎のこともあり、「リサイタルのために精いっぱいの準備ができていないのではないか」、「この手が悪化したらどうなるのか」など色々な不安を抱えつつ、その中で共演者を迎え、そして短い期間でのリハーサルでまとめ上げて本番をするというのは、精神的にも体力的にも相当にきつかった。今回の共演者は、僕が彼のピアノの音色に衝撃と感動を覚え(本当は彼、マリンバ専攻生ですが)、招へいすることにしたのだが、実は僕とは全く違う頭脳派の中々の強者で、覚悟はしていたがリハーサルでは音で言い合いになったり、時には言葉でも言い合いになったり、本番直前までどうなるのか、どうしたらいいのか分からず頭の中はめちゃくちゃな状態だったこともあった。でも沢山の方が僕らの演奏に対して純粋に抱いてくださっていた「いい演奏会になりますように」というそういう思いの力と、演奏を楽しみにしてくださっているお客さんの力で、僕もAndrey君もかなり救われ、そしてどの3公演もリハーサルよりとは比べ物にならないくらいお互いを信じ、聴き合うことができ、出来る限りお互いを尊重し合えることができ、反省点はあるものの、お客さんに喜んでもらえるものが出来たのかなと終演の拍手、そして直にお客さんとお話しすることで感じさせていただいた。そして演奏を重ねていくたびに、落ち着いて色々なことを考えることができたし、2人で話し合いもできたし、少しずつAndrey君のことも理解しながら、音も近づけていけた。
そして今回のリサイタルツアーを進めていく中で、自分の周りで色々と働いている目に見えない力も感じた。でもそれは「自分がこれからも沢山の人の幸せを願いながら音楽を通してより多くの方の生活に少しだけ風を吹きかけたい」という想いを、マリンバという楽器を通して音にしていくため音楽を続けていくことが自分の道なのかもしれない、とそう思わせるものであった。
今回も沢山の出会い、そして優しさに触れたが、まだまだ十分なお礼が出来ておらず、申し訳ありません。この場を借りて、ひとまずお礼を申し上げたいと思います。
本当に、本当に、本当にありがとうございました。
(メールを送ってくださった方には、これからゆっくり返信いたしますのでお待ちください。)
Wednesday, July 28, 2010
アメリカ→ドイツ→ちょっとオランダ→ドイツ→日本

やっとこうしてここに戻って来れました。(実家にも戻って来れました!!)
まずはお知らせです。大変光栄な事に、2010年の秋からデトモルト音楽院でマリンバの講師としてドイツに戻れる事が決まりました。
こ の大変ありがたいお話、実は3月には決まっていたのですが、素直に喜べない自分もいました。だからここに戻ってくるのに時間がかかった、というのが正直な ところです。この数ヶ月間は迷い、ゆっくり考え、時にはうろたえ、そして最後にようやく見つけ出した細い光を頼りに、それを信じてまた再出発していこうと 決意した期間でありました。周りから見ると、スムーズに進んでいることでも、本人の心の内はそういうものでもないということ、ありますよね。僕はちょうど その時期だったようです。
でもこういう期間があるからこそ、また改めて自分を見つめ、少しだけ自分を知り、少しだけその自分を受け入れよ うとすること出来たし、更には自分の生活に音楽があるありがたさ、音楽が出来る環境、させてもらえている環境、そして家族、友人、僕の音楽を応援してくだ さっている方への感謝の念がよりいっそう深くなるんですよね。
英語が全くというほど通じない状況でボストンに降り立ってから、約9年間。 楽しいことも、苦しいことも、泣いたことも、感動したことも、怖い思いをしたことも、幸せなことも、不運なことも、本当に、本当に色々とありました。文化 も、言葉も、肌の色も違う人種がそれぞれの居場所を見つけて暮らすアメリカで、その地に行くまでまったく面識も無かった僕の恩師であるNancy Zeltsman先生、Dr. Karl Paulnack先生に出会えたこと、言葉の壁を超え心で繋がれる親友を見つけられたこと、命・生きることを考えされされたこと・・・書き出すと切があり ませんが、音楽家である前に、まず人として心豊かに、そして今の自分の境遇に感謝しながら幸せに生きるということを、アメリカ生活は僕に教えてくれまし た。そのすべてがやっと少しずつ僕の心の中に整理されて仕舞われていますし、それらはきっと僕の音となってくれるのでしょう。
そのアメリ カ生活をこの6月を持って引き払いました。第二の故郷となったその地を離れることは、本当に悲しいです。でも、僕の人生に吹いてくれている風に感謝し、身 を任せ、約9年前にアメリカの地に降り立ったように、また新しい生活をドイツでするために出発します。31歳にはなりましたが、まだまだ自分の脳みそを固 めすぎずに、新しい土地で感じる様々なことを自分の中に吸収し、自分の音楽にまた新しい色を添えたいなあ、と今はそういう思いです。
時間はかかりましたが、やっとこうして何とか言葉に出来たことで、また前に進めそうです。
写真はボストンを見ながら夕日が見える、僕のお気に入りのスポットの写真です。
Sunday, March 14, 2010
誉田君
3月12日にボストン音楽院で行われた、僕の山形大学(山大)の後輩でもある誉田広耶君のマリンバ・リサイタルに行ってきました。
山大の後輩とは言えども、僕が山大に在学していた時期とはまったくかぶっていなかったのですが(ということは彼は俺よりも随分の若者)、ちょっとした縁があり、彼とは確か5年近くの付き合いになります。山大を卒業後は、僕も辿ってきた道でもあるボストン音楽院に入学したということもあり、弟のように付き合わせてもらってました。(もちろん、この2人の関係の場合、弟の方が上手です。)
初めてきちんと彼のことを知ることになったきっかけが、彼の演奏を聞かせてもらうことで、それから5年間、機会がある度に演奏を聞かせてもらったり、色々な彼の身の上話を聞かせてもらったりしていたので、演奏会の最初の数音は、その彼の5年間の音楽の、そして人生の歩みを思いながら聴かせてもらってたのですが・・・
彼の音楽に対しての集中力、至る所で湧き出る表情の豊かさにのせて聞こえてくる「歌」に引き込まれて、そんな歩みなんか辿っているどころではない位、一観客として聞き入ってしまっている自分がいました。今までは聞き逃していたのか、それとも彼の中で持っていたものが新た引き出され、それが音色になったのか、今まで聴くことの出来なかった音への非常にきめの細やかな気配りが、僕には持っていないものだったりし、「凄い」と感嘆してしまう部分もありました。
マリンバソロオリジナル曲で始まったコンサートは、プログラムのほとんどがギターのソロ曲のアレンジものやマリンバを含む室内楽といった、曲の選択も順番も彼なりのコンセプトを持って組まれていたし、照明や演出にも彼のこだわりというか、彼らしさがいい風に出てました。最後の演出は「万歳」ものでした。ただ、31歳を迎えたばかりの俺には、字が細かすぎてまったく読めなかったのが残念でしたが・・・
2時間弱の演奏会はあっという間に終わり、文句なしのスタンディング・オーベーション。その演奏会の余韻は実に気持ちのいい爽快感で一杯でした。演奏会後の爽快感ってそう頻繁に感じるものではないのですが、彼がこのコンサートに向けて一生懸命でなおかつ大事に準備してきたこと、考えて考えて音楽を作り上げ、それが彼の音楽として魂から出ていたこと、そして彼の純粋さ・温かさがきっとそういう気持ちにさせてくれたのでしょう。
彼の今後、本当に楽しみになってきました。この6月で日本に完全帰国するので、日本の皆様、機会があったら是非聴いてやってください。
そして誉田君、また酒飲みに行こう!
(そうそう、彼はマレット巻き直しのかなりの、っていうかかなりの名人でもありますよ。)
山大の後輩とは言えども、僕が山大に在学していた時期とはまったくかぶっていなかったのですが(ということは彼は俺よりも随分の若者)、ちょっとした縁があり、彼とは確か5年近くの付き合いになります。山大を卒業後は、僕も辿ってきた道でもあるボストン音楽院に入学したということもあり、弟のように付き合わせてもらってました。(もちろん、この2人の関係の場合、弟の方が上手です。)
初めてきちんと彼のことを知ることになったきっかけが、彼の演奏を聞かせてもらうことで、それから5年間、機会がある度に演奏を聞かせてもらったり、色々な彼の身の上話を聞かせてもらったりしていたので、演奏会の最初の数音は、その彼の5年間の音楽の、そして人生の歩みを思いながら聴かせてもらってたのですが・・・
彼の音楽に対しての集中力、至る所で湧き出る表情の豊かさにのせて聞こえてくる「歌」に引き込まれて、そんな歩みなんか辿っているどころではない位、一観客として聞き入ってしまっている自分がいました。今までは聞き逃していたのか、それとも彼の中で持っていたものが新た引き出され、それが音色になったのか、今まで聴くことの出来なかった音への非常にきめの細やかな気配りが、僕には持っていないものだったりし、「凄い」と感嘆してしまう部分もありました。
マリンバソロオリジナル曲で始まったコンサートは、プログラムのほとんどがギターのソロ曲のアレンジものやマリンバを含む室内楽といった、曲の選択も順番も彼なりのコンセプトを持って組まれていたし、照明や演出にも彼のこだわりというか、彼らしさがいい風に出てました。最後の演出は「万歳」ものでした。ただ、31歳を迎えたばかりの俺には、字が細かすぎてまったく読めなかったのが残念でしたが・・・
2時間弱の演奏会はあっという間に終わり、文句なしのスタンディング・オーベーション。その演奏会の余韻は実に気持ちのいい爽快感で一杯でした。演奏会後の爽快感ってそう頻繁に感じるものではないのですが、彼がこのコンサートに向けて一生懸命でなおかつ大事に準備してきたこと、考えて考えて音楽を作り上げ、それが彼の音楽として魂から出ていたこと、そして彼の純粋さ・温かさがきっとそういう気持ちにさせてくれたのでしょう。
彼の今後、本当に楽しみになってきました。この6月で日本に完全帰国するので、日本の皆様、機会があったら是非聴いてやってください。
そして誉田君、また酒飲みに行こう!
(そうそう、彼はマレット巻き直しのかなりの、っていうかかなりの名人でもありますよ。)
Tuesday, March 09, 2010
Youtube
雪男の僕がボストンに戻ってきた3月頭は、冷え込みが凄く、おまけに雪まで降ってくれました。今年の冬は、僕が訪れるところはまず寒さと雪で歓迎でした。でも、昨日頃からようやく雪男の名前もシーズンオフです。昨日からボストンには春の陽気、むんむんです。もう新年度なんですね。
話は突然変わり、この度Youtubeにビデオをアップしました。自分でYoutubeに載せる、というのは初なんです。(ただ、自力でYoutubeに載せてません。Yuki君、ありがとう。)
僕の演奏が観れるビデオは今まで何本かYoutubeに載せられていたのですが、あれらは僕が希望したものではなく、さらに言うと無許可で載せられたものです。まあ、最初はびっくりしましたが、インターネットでどんどん広がって行く社会ですし、実際に僕の演奏も、良くも悪くもそのビデオ達で広がって行ってくれていたようです。
今回のビデオは2月にデトモルト音楽院で行ったリサイタルの中から、ピアソラの作品のみ抜粋しました。今回のビデオのピアニスト、実はマリンバ専攻でデトモルト音楽院国家演奏家資格コースに在学しているロシア人の生徒なのですが、聴くとお分かりになりますがピアノも相当達者な方なんです。色々と事情があり、リサイタルの前に十分なリハーサルが出来なかったのでまだまだな点があるのですが、この人とのピアソラの演奏は何か特別なものを感じます。僕もピアソラ好きですが、彼も相当なピアソラ好きです。ホームページに後日詳しいことは掲載いたしますが、9月は京都・秋田・山形で、このピアニスト/マリンバ奏者を引き連れて演奏会をします。もしご都合がつくようでしたら、皆さん、是非いらしてください。
それではリンクです。
リベルタンゴ
http://www.youtube.com/watch?v=_iZRFb7LQuE
組曲「タンガータ 風神と水の精」
フガータ
http://www.youtube.com/watch?v=GTtmNiF4B6g
ソレダット(孤独)
http://www.youtube.com/watch?v=-H594JhKjek
終曲(タンガータ)
http://www.youtube.com/watch?v=Hefd8AKJ62Q
楽しんでいただければ幸いです。
話は突然変わり、この度Youtubeにビデオをアップしました。自分でYoutubeに載せる、というのは初なんです。(ただ、自力でYoutubeに載せてません。Yuki君、ありがとう。)
僕の演奏が観れるビデオは今まで何本かYoutubeに載せられていたのですが、あれらは僕が希望したものではなく、さらに言うと無許可で載せられたものです。まあ、最初はびっくりしましたが、インターネットでどんどん広がって行く社会ですし、実際に僕の演奏も、良くも悪くもそのビデオ達で広がって行ってくれていたようです。
今回のビデオは2月にデトモルト音楽院で行ったリサイタルの中から、ピアソラの作品のみ抜粋しました。今回のビデオのピアニスト、実はマリンバ専攻でデトモルト音楽院国家演奏家資格コースに在学しているロシア人の生徒なのですが、聴くとお分かりになりますがピアノも相当達者な方なんです。色々と事情があり、リサイタルの前に十分なリハーサルが出来なかったのでまだまだな点があるのですが、この人とのピアソラの演奏は何か特別なものを感じます。僕もピアソラ好きですが、彼も相当なピアソラ好きです。ホームページに後日詳しいことは掲載いたしますが、9月は京都・秋田・山形で、このピアニスト/マリンバ奏者を引き連れて演奏会をします。もしご都合がつくようでしたら、皆さん、是非いらしてください。
それではリンクです。
リベルタンゴ
http://www.youtube.com/watch?v=_iZRFb7LQuE
組曲「タンガータ 風神と水の精」
フガータ
http://www.youtube.com/watch?v=GTtmNiF4B6g
ソレダット(孤独)
http://www.youtube.com/watch?v=-H594JhKjek
終曲(タンガータ)
http://www.youtube.com/watch?v=Hefd8AKJ62Q
楽しんでいただければ幸いです。
Monday, February 15, 2010
デトモルト音楽院
昨年の10月から通っていたデトモルト音楽院での生活が遂に終わってしまった。そしてボストンに帰ってきてみたら、俺の中に何か大きな穴がぽっかり空いている事に気付いた。
必死に過ごした5ヶ月間は、俺にとって人生生まれて初めてと言っても過言で無いくらいの人生の勉強をさせてもらったし、勇気をもらった。苦しかったし、悩んだし、眠れなかった日もあったからこそ、充実していたし、温かくなったし、少しだけ強くなったし、そして幸せだった。
「音楽とは何か」って、まだその未知の部分は計り知れないものがあるはずだけど、自分にとって音楽とは、その人の「生き方」の選択を表現する芸術であるんじゃないかなあ、と最近思うようになった。だからレッスンをさせてもらうってことは、自分の生き方を共有するものでもあり、こういう機会を俺のこの人生のタイミングでドイツで頂くことが出来、俺の人生の共有をこのデトモルト音楽院でさせてもらったことには、本当に本当に自分にとって意味深いものであり、感謝してもし足りないくらいだった。
国も人種も違う人が、デトモルト音楽院の打楽器ハウスに集まり、一緒に音楽を創っていく。昔、自分が思うアメリカでの生活を僕のピアノ先生に話したときに、「布谷は国や人種で人を判断しなくなれば、きっとまた新しいステップに進めるよ」と言われたのだが、それが今回の機会でその言葉の意味を理解し、納得できた気がする。
俺は本当にこのデトモルト音楽院の打楽器ハウスで過ごせて幸せだったし、俺の弟・妹のような生徒達、みんなを好きになった。そしてみんなのお陰で、また立ち上がって音楽を続けて行けそうな気がする。
このブログ、きっとその子らには読んでもらえてないと思うけど、この場を借りて、「Vielen Dank!!」
Wednesday, January 06, 2010
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
ご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。前回の更新から僕の生活は一気に忙しくなり、その上家でインターネットが使えなくなったことを理由に、またサボってしまいました。
明けましておめでとうございます。昨年も応援してくださった皆様、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年10月に始まったドイツの生活も、もう3ヶ月が経ち、後残すところ1ヶ月半。この場では書ききれないほど色々な生徒や人に出会い、様々なことを学び、そして沢山のクラシック音楽家を生み出した国の風を感じてきました。そのすべてが音楽家として生きている僕にとっては最高の刺激となり、「僕はなんて幸せ何だろう」と思っていた昨年の12月中旬、僕の脳裏に突然、「んじゃあ、ドイツに住んでみればいいじゃん」という声が・・・
この声、高校3年のときにも聞こえました。あの頃の僕は偏差値もそんなに良くなかったのに
高校の化学の先生になることに情熱を燃やしており、当時の担任先生と一緒に北海道教育大学の化学課程を見学するため、同大学に行ってました。説明会がちょうどお昼休みの後だったので、それが始まる前に担任を外に待たせてトイレに入りました。
そしたら急に「音楽に行かなくていいの?」と誰かに言われたように、そう頭によぎったんです。
「そうだよね」と変に納得した僕は、トイレの外で待っていた担任の先生に「俺、やっぱり音楽の説明会に行ってきます」と言い残し、ピアノの練習している音の聞こえる方に向かいました。
説明会の行われている部屋を見つけると、そこには聴音ばっちり、ソルフェージュばっちり、新曲視唱ばっちり、実技はもちろんばっちりと言わんばかりの優等生の5人が既に説明を受けており、音楽課程の説明会の登録をしていなかった僕は、先生からも受講生の方からも、誰ですか?という目で見られた上、聴音もソルフェージュも新曲視唱も、それがいったい何なのか知らないという状態がばれ、これでもかという位赤っ恥をかいてきました。
でも、それが無ければ今の自分は無かったでしょう。
きっとこの「ドイツに住んでみればいいじゃん」もどんな風にかはまったく想像がつきませんが、また赤っ恥をかくことになるのかもしれません。でも、赤っ恥をかけばきっと自分は強くなるし、もしそこまで恥をかかなかったとしても、そう思えたことが自分には大きな成長のステップの一つになるのだと思います。どんな風な形でドイツに住むことになるのかはまだ分かりませんが、またはっきりとお知らせが出来るようになったら、この場で述べたいと思います。
という訳で、ひとまず今年の6月一杯でアメリカ生活にピリオドを打つことに決めました。
2001年7月31日、初めて乗った飛行機の中から今は無きニューヨークのWorld Trade Centerを見て、自分はこの国で変われると思ったあの日が、昨日のように思い出されます。アメリカに来て沢山の素晴らしい人に出会い、そして様々な経験を積み、僕の世界が広がりました。その人たちから離れることになるのは非常に寂しいですが、僕の中でその人たちの存在はずっと生き続けますし、そして何よりも心から感謝しております。
男布谷、30歳にして大胆な決断だとは十二分に承知ですが、どうぞこれからも引き続き応援をよろしくお願いいたします。
そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
布谷史人
明けましておめでとうございます。昨年も応援してくださった皆様、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年10月に始まったドイツの生活も、もう3ヶ月が経ち、後残すところ1ヶ月半。この場では書ききれないほど色々な生徒や人に出会い、様々なことを学び、そして沢山のクラシック音楽家を生み出した国の風を感じてきました。そのすべてが音楽家として生きている僕にとっては最高の刺激となり、「僕はなんて幸せ何だろう」と思っていた昨年の12月中旬、僕の脳裏に突然、「んじゃあ、ドイツに住んでみればいいじゃん」という声が・・・
この声、高校3年のときにも聞こえました。あの頃の僕は偏差値もそんなに良くなかったのに
高校の化学の先生になることに情熱を燃やしており、当時の担任先生と一緒に北海道教育大学の化学課程を見学するため、同大学に行ってました。説明会がちょうどお昼休みの後だったので、それが始まる前に担任を外に待たせてトイレに入りました。
そしたら急に「音楽に行かなくていいの?」と誰かに言われたように、そう頭によぎったんです。
「そうだよね」と変に納得した僕は、トイレの外で待っていた担任の先生に「俺、やっぱり音楽の説明会に行ってきます」と言い残し、ピアノの練習している音の聞こえる方に向かいました。
説明会の行われている部屋を見つけると、そこには聴音ばっちり、ソルフェージュばっちり、新曲視唱ばっちり、実技はもちろんばっちりと言わんばかりの優等生の5人が既に説明を受けており、音楽課程の説明会の登録をしていなかった僕は、先生からも受講生の方からも、誰ですか?という目で見られた上、聴音もソルフェージュも新曲視唱も、それがいったい何なのか知らないという状態がばれ、これでもかという位赤っ恥をかいてきました。
でも、それが無ければ今の自分は無かったでしょう。
きっとこの「ドイツに住んでみればいいじゃん」もどんな風にかはまったく想像がつきませんが、また赤っ恥をかくことになるのかもしれません。でも、赤っ恥をかけばきっと自分は強くなるし、もしそこまで恥をかかなかったとしても、そう思えたことが自分には大きな成長のステップの一つになるのだと思います。どんな風な形でドイツに住むことになるのかはまだ分かりませんが、またはっきりとお知らせが出来るようになったら、この場で述べたいと思います。
という訳で、ひとまず今年の6月一杯でアメリカ生活にピリオドを打つことに決めました。
2001年7月31日、初めて乗った飛行機の中から今は無きニューヨークのWorld Trade Centerを見て、自分はこの国で変われると思ったあの日が、昨日のように思い出されます。アメリカに来て沢山の素晴らしい人に出会い、そして様々な経験を積み、僕の世界が広がりました。その人たちから離れることになるのは非常に寂しいですが、僕の中でその人たちの存在はずっと生き続けますし、そして何よりも心から感謝しております。
男布谷、30歳にして大胆な決断だとは十二分に承知ですが、どうぞこれからも引き続き応援をよろしくお願いいたします。
そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
布谷史人
Sunday, October 18, 2009
リベルタンゴ国際コンクール

またまたいつもの事ですが、ご無沙汰しており失礼いたしました。
この10月1日から来年2月中旬までの半年間、ドイツにあるデトモルト音楽院でマリンバの客員教授として指導にあたらせてもらっております。実はボストン音楽院を卒業後直ぐ、音楽のメッカとも言えるドイツに行ってもっと勉強したかったのですが色々な理由で実現できなかったので、こういう形でドイツに滞在させてもらえることに喜びを感じながら、一日一日を大事に過ごしてます。
そしてTeachingが始まって一週間後、昨年から気になっており、今回ドイツに滞在することが決まってから申し込んだ、イタリアでのリベルタンゴ国際コンクールに参加してきました。
このコンクールはファイナルラウンドまでアストル・ピアソラの音楽を演奏することが課題で、ピアソラ一色のコンクール。ピアソラの音楽にはまっている僕にとっては、よだれの出るようなコンクールです。当初、ソリスト部門ではピアノ・チェロ・バイオリン・バンドネオン・アコーディオン・サックスと、ピアソラの音楽がよく演奏される楽器を対象に参加を募集しておりました。でも、イタリアのコンクールであること、そしてピアソラの音楽を演奏することが課題なのでピアソラのレパートリーがある僕でも参加できるのでは、と思い、コンクール事務所に問い合わせ、参加させてもらえることになったのです。
コンクールは、ランチアーノというローマからバスで3時間の小さな田舎町で行われたため、前もって楽器の到着に不安を感じていたものの、案の定本番直前まで楽器の到着にやきもきするところもありましたが、素晴らしい伴奏者との出会いで、演奏も1次・2次・ファイナルと無事に終え、そして非常に光栄なことにソリスト部門で1位という、自分ではまったく予想もしなかった賞を頂くことができました。
(楽器の手配に協力して下さったこおろぎ社の多大なご支援には、感謝してもしてもし足りません・・・)
ピアソラの音楽は、タンゴの音楽に、クラシックやジャズ、そしてロックと様々な音楽を融合されてあり、様々な音楽のジャンルを組み合わせているからなのか、彼の音楽には人間の抱く様々な感情を感じさせる力があります。大学卒業後にマリンバ奏者・音楽家として道を見失いそうになったとき、偶然彼の音楽を耳にし、心が洗われ、そして救われました。
ただ、様々な音楽の融合であるピアソラの音楽の演奏方法に、クラシック音楽家として勉強してきた僕は色々と悩むこともありましたが、師匠のレッスンで教わった音楽の真髄である「心/感情」・「魂」を持ち続けて演奏してきてましたし、今回のコンクールの受賞は、自分の中であった様々な迷いに光を射してくれ、今後も彼の音楽を演奏していきなさい、と背中を押してもらえた気がします。
またまた、ピアソラの音楽に力を頂きました。感謝です。
今回のコンクールでも、色々な国のピアソラ愛好者と出会うことが出来ましたし、審査員の方々とも今後のお話など色々とすることが出来、とても充実したイタリアの旅となりました。
今回はまったくいい写真が撮れなかったのですが、町の写真と劇場の写真、そして本番の演奏の写真を載せました。
Monday, July 06, 2009
栄養たっぷり
またまた更新をサボりました。すみません。
一週間ほど前に、アメリカに戻ってきました。実は今回の日本への旅の前日(というかフライト時間の数時間前まで)近所への引越し作業をしてました。その引越しに関して色々あり、急に決まったものだっので自分の荷物を動かすので精一杯で、今回アメリカに戻ってきてから家にこもり、時差ボケと戦いながらここ1週間ほどは荷物整理をしてました。8年間近くアメリカにいるからか、僕が整理できない人間なのか、思い切りが出来ない人間なのか、俺はとにかく物が多い・・・
と、アメリカに帰ってきてからは、荷物整理を理由にマリンバをお休みです。(明日から再開を考えてはいます。)
今回の日本滞在は、3月中旬から6月下旬までのほぼ3ヵ月半の滞在でした。こんなに長く滞在できたのは、僕がアメリカに来てからは初めてのことで、「友達と一緒に温泉に行こう」「飲み会しよう」と約束してたり(ごめんよ、友人。)、甥や姪とたっぷり遊ぼうとか、親とゆっくりとした時間を過ごしてみよう、とか一人で盛り上がっていました。でも結局全部没。。。
しかしながら、今回の滞在はとても充実してました。というか、充実感を味わわせていただきました。
「出会い」のお陰です。とにかく沢山の素晴らしい出会いがありました。
以前僕がスランプに陥りそうでアメリカの先生に相談したとき、「音楽家は演奏をすることで常に人(聴衆)に与え続けているのだから、休むときはしっかり休んで、自分の心と体に栄養を与えなさい。」と教えられました。自分の体はゆっくり休んでしっかり食べれば元気になるけど、その「心」の栄養が自分にとっては何か、ここ何年かずっと考え、色々と試してきました。自然鑑賞、好きな音楽を聴きながら夜中のドライブ、買い物、お酒、美味しいものの食べ歩き、アイスクリーム、もちろんNew Yorkの吉野家もです。どれも全部自分の栄養になっていたとは思うのですが、今回の日本滞在で出会った人から、自分の心に今まで感じ取れなかったかなりの栄養を注いでもらった、と感じました。
世界的に活躍されている著名な音楽家ほどの活躍ぶりではありませんが(各地を飛び回るほどではないって言ったほうがいいのかな)、今回の日本滞在で沢山演奏やクリニックをさせていただき、自分の持っているすべてを一回一回すべて出し切るような気持ちで臨みました。大昔はその一回が終わると、完全燃焼でしばらく練習すら出来なかったり、最近までは演奏会が続くと体も心もエネルギーが減っていっていた自分ですが(こんな事、暴露しちゃっていいのでしょうか・・・)、年を重ねて経験したからか、いや恐らく皆さんからのいいエネルギーが自分をそうさせたのだと思いますが、とにかく全部の演奏会で常に自分を出し切る用意が出来ていたし、一回一回出し切りました。
アメリカは不景気でかなり騒いでますが、日本の不景気はアメリカの不景気よりも長く、そして深刻だと思います。そんな不景気の日本で沢山の苦労を重ね、強く、前向きに、楽しく生活している方々だからこそ、体の中からエネルギーが沸き(エネルギーがあるから強く前向きに??逆かなあ)、そして僕のようなものにまでそのエネルギーを分けていただけたのだと思います。
僕も見習わなくてはいけませんね。
短い締めになりますが、とにかく今回の日本滞在で出会ったすべての人に感謝しております。ありがとうございました。
(写真は後日・・・)
一週間ほど前に、アメリカに戻ってきました。実は今回の日本への旅の前日(というかフライト時間の数時間前まで)近所への引越し作業をしてました。その引越しに関して色々あり、急に決まったものだっので自分の荷物を動かすので精一杯で、今回アメリカに戻ってきてから家にこもり、時差ボケと戦いながらここ1週間ほどは荷物整理をしてました。8年間近くアメリカにいるからか、僕が整理できない人間なのか、思い切りが出来ない人間なのか、俺はとにかく物が多い・・・
と、アメリカに帰ってきてからは、荷物整理を理由にマリンバをお休みです。(明日から再開を考えてはいます。)
今回の日本滞在は、3月中旬から6月下旬までのほぼ3ヵ月半の滞在でした。こんなに長く滞在できたのは、僕がアメリカに来てからは初めてのことで、「友達と一緒に温泉に行こう」「飲み会しよう」と約束してたり(ごめんよ、友人。)、甥や姪とたっぷり遊ぼうとか、親とゆっくりとした時間を過ごしてみよう、とか一人で盛り上がっていました。でも結局全部没。。。
しかしながら、今回の滞在はとても充実してました。というか、充実感を味わわせていただきました。
「出会い」のお陰です。とにかく沢山の素晴らしい出会いがありました。
以前僕がスランプに陥りそうでアメリカの先生に相談したとき、「音楽家は演奏をすることで常に人(聴衆)に与え続けているのだから、休むときはしっかり休んで、自分の心と体に栄養を与えなさい。」と教えられました。自分の体はゆっくり休んでしっかり食べれば元気になるけど、その「心」の栄養が自分にとっては何か、ここ何年かずっと考え、色々と試してきました。自然鑑賞、好きな音楽を聴きながら夜中のドライブ、買い物、お酒、美味しいものの食べ歩き、アイスクリーム、もちろんNew Yorkの吉野家もです。どれも全部自分の栄養になっていたとは思うのですが、今回の日本滞在で出会った人から、自分の心に今まで感じ取れなかったかなりの栄養を注いでもらった、と感じました。
世界的に活躍されている著名な音楽家ほどの活躍ぶりではありませんが(各地を飛び回るほどではないって言ったほうがいいのかな)、今回の日本滞在で沢山演奏やクリニックをさせていただき、自分の持っているすべてを一回一回すべて出し切るような気持ちで臨みました。大昔はその一回が終わると、完全燃焼でしばらく練習すら出来なかったり、最近までは演奏会が続くと体も心もエネルギーが減っていっていた自分ですが(こんな事、暴露しちゃっていいのでしょうか・・・)、年を重ねて経験したからか、いや恐らく皆さんからのいいエネルギーが自分をそうさせたのだと思いますが、とにかく全部の演奏会で常に自分を出し切る用意が出来ていたし、一回一回出し切りました。
アメリカは不景気でかなり騒いでますが、日本の不景気はアメリカの不景気よりも長く、そして深刻だと思います。そんな不景気の日本で沢山の苦労を重ね、強く、前向きに、楽しく生活している方々だからこそ、体の中からエネルギーが沸き(エネルギーがあるから強く前向きに??逆かなあ)、そして僕のようなものにまでそのエネルギーを分けていただけたのだと思います。
僕も見習わなくてはいけませんね。
短い締めになりますが、とにかく今回の日本滞在で出会ったすべての人に感謝しております。ありがとうございました。
(写真は後日・・・)
Monday, May 11, 2009
2009年1月・2月
皆様、どうもご無沙汰しております。5月9日に母校の大館高校吹奏楽部と共演をしたのですが、その演奏会後に部員の一人に「布谷さん、ブログ更新してください。」と言われてしまい、更新の決意をしました。ブログでお伝えしたい事は山ほどあって、しかもそのための写真も用意してあるのですが、中々パソコンに向かってゆっくりブログ更新という気にならないんですよね。俺、夏休みとか冬休みの宿題を、休みが終わる2,3日前からはじめるようなやつだったんですが、こういう所に出ますね。恥ずかしい・・・
折角こういうページがあって、観てくださっている方がいるのに、失礼いたしました。
去年の12月振りですので、俺の活動内容の報告させてください。
1月下旬にMagic Marimba Festival(魔法のマリンバ・フェスティバルって、俺に似合ってかわいい名前でしょう?)に行ってきました。率直な感想は、暑かった・・・。っていうか、真夏日並みです。1月のボストンの気温は0度。1月のフロリダの温度は25度以上。週末だったこともあって、帰りの飛行機はバカンスで遊びに来ている人でにぎわってました。この温度じゃあ、北の人はそういう気分になるよね。俺も、ビーチでピーナカラーダ片手に、夕日を眺めたかったなあ。
写真は本フェスティバルのホストしている大学、University of Southern Floridaの教授Robert McCormick先生とその生徒さんです。この大学にお邪魔するのは2回目なんですが、先生もいい人だし、それに伴ってなのか生徒もみんないい人ばかりです。天気もずっとよかったし、ここの地にいると人間変われそうです。
さあ、2枚目3枚目のお写真は、1月下旬にボストンのラジオ局WGBHであった朝のクラシックのショーの前の、サウンドチェックの様子です。この一枚目の写真はサウンドチェックのはじめのころ。

そしてこれが、後の写真です。マリンバとピアノの間に壁を作っている様子です。これには俺、マジびっくりでした。最初はピアノのマイクにマリンバの音がかなり大きく入ってしまうとの事で、マリンバをどんどんピアノから離し、それでも駄目ということで、壁の一段目を築き上げ、それでも駄目ということで2段目の壁を立てている所です。
結局は壁が邪魔でピアノ奏者と目でコンタクトを取るのがやっと。大変だったけどリスナーにいい音で聴いてもらうためならやるしかない、ということでこれで本番を迎えました。
今回のこのライブの演奏が、ニューイングランド地方はもとより、インターネットを介して世界のクラシックファンに発信しているということもあり、かなり緊張していたのですが、それより何より緊張していたのが今回のショーの司会Cathy Fullerさんとの会話。
もちろん英語ですよね。しかも、結構高度な会話。
時間はあまりなかったのですが、出来る限り曲のこと、作曲家のことを勉強しました。でもいざ本番となると駄目でしたね。。。相当緊張してしまい、「My name is Fumito. I like orange. I am Japanese. Thank you.」状態。ひどいというか、穴があったら2,3日入りたかった。。。ショーでの演奏も反省すべき点は多々あったんですが、それよりなにより自分の英語力にかなり落ち込みました。
若い衆の皆さん、英語は若いうちにやっておいたほうが絶対いいですよ。
実は俺、この司会者のファンでこのラジオショーをよく聴いていて、「自分もいつかソロで出演できたらいいなあ。」と密か思っていたんですが、こんなに早く夢が叶うとは思ってもいなかったので、今考えるとこの番組に出演した自分は褒めてあげないと、と思います。この次があるのであれば、もっと英語頑張ります。
この写真は2月上旬に、カリフォルニア州であったSouthern California Percussion Ensemble Festivalでの、俺のマスタークラスの様子です。クラスに登録してくれた人数は75人。主催者の方にも、「史人はこっちでも有名人ですよ。」だって。嘘おっしゃい、って突っ込みましたが。このマスタークラスへの参加人数は、主催者の働きかけのお陰の賜物です。
今回のカリフォルニアへの旅、実は人生で始めてのアメリカ西海岸の旅だったんです。色んな人から、「カリフォルニアの人はフレンドリーで、食べ物も美味しいし、天気はいい」って聞いていたんですが、ホントその通り!と言いたいところだったんですが、最初の2つは本当だったけど、最後の1つはまったくの嘘。俺が滞在していた5日間すべて雨。俺の生徒に、「雨男」って言ってたことあるんですが、さすがに今回は反省しました。
このフェスティバル、主催者はもちろんのこと(なんと25歳の日本人の若者)、そしてその主催者をサポートしている先生方やボランティアの人すべてがいい人で、生徒さんももちろんいい人。アメリカのいい人集まれフェスティバル、って感じで、とにかく最初から最後まで温かいフェスティバルでした。フェスティバルのメインとなっている、高校生の打楽器アンサンブルクラブ(アメリカには結構あるみたいなんです。)の皆の演奏で感動し、涙を流し、色んな人との交流もでき、自分の心はまさに癒されまくり。そんな人達の前で演奏が出来るというのは本当に幸せで、自分の体はボストンとカリフォルニアにある3時間の時差による時差ぼけで最高に疲れてたんですが、精一杯の気持ちを込めて演奏させていただきました。お客さんは盛り上げ上手で、演奏してて楽しかったです。
ボストンにいると、アジア人ということでちょっと浮いた感というか、アメリカはやっぱり白人の国だよなあ、って感じるんですが、カリフォルニアにはアジア人人口が多く、今回のフェスティバルでもアジア人が半分、その中に日本語があまり話せない日本人もいたりして、あれここアメリカだっけ?って思う場面が何度もありました。でも、そこに何か心地よさを感じていたのも事実です。
今回の旅は、かなり思い出に残る旅でしたが、まったくプライベートの時間がなかったので、次回はしっかり観光もしたいと思ってます。
と言う感じで、また近いうちに3月・4月・5月の活動報告いたしますので、また覗いてやってくださいね。
Monday, December 22, 2008
Student Concerts

どうも、またまたご無沙汰しておりました。ボストンはここ3日間の雪で、大変なことになっていました。雪国出身の僕はこういう雪にも一切めげず、夏タイヤで楽器を運んだり、買い物であちこち行ったりし、ここぞとばかりに自分の運転スキルを披露してました。(実は一度だけ、曲がり角を曲がりきれず、雪に少々突っ込みましたが。。。)
昨日、というかもう一昨日になりますが、僕の今教えている、もしくは教えていた生徒によるマリンバの発表会を開きました。個人でマリンバを教えるようになってから2,3年経つのですが、実は生徒の発表会をしたのが今回が初めてだったんです。しかも、自分の日程と生徒の日程がうまく噛みあわなく、コンサートの期日を決めたのも一ヶ月少々前と急で、本当にわずかな時間での準備でした。それにも関わらず、発表会に参加してくれた生徒達は、この日を目標に与えられていた曲を見事に仕上げ、コンサート当日では素晴らしい演奏を披露してくれました。この生徒の頑張りには驚きましたし、何より感謝してます。
生徒一人ひとりの演奏を発表会という形で見るのがはじめてだったので、演奏を見ながら一人ひとりの特徴、素晴らしいところ、これからの課題を改めて認識できた、僕にとっては大変いい機会で勉強になりました。生徒のご両親・友人や、生徒自身にとっても色々なスタイルの演奏が見れたことはプラスになったと思うし、コンサート後のみんなの嬉しそうな様子を見ながら、強行突破で生徒や親には大変な思いをさせたと思うけど「終わりよければすべてよし」で、僕の強引な演奏会開催は成功だったのかなと、胸をなでおろしてます。
生徒を持つようになって、長い間その生徒と一緒に勉強していき、その生徒が長い時間をかけて作り上げた音楽を今回のコンサートで演奏してくれたとき、何かくすぐったい感覚と嬉しさ、そして子供の巣立ちを見てるような感覚が混ざって、心地いい気持ちの複雑さでした。その演奏には、僕が若かりし頃に抱いていた音楽に対しての「夢」がふんだんに含まれていたし、エネルギーを沢山もらいました。
僕の師匠が「生徒を持つことで生徒とともに人間的に成長していくし、それに伴って自分の音楽も成長していく」と言っていたことの意味が、少し分かってきた気がします。
来年のコンサートも、今から非常に楽しみです。日本語の読めない生徒がほとんどですが、この場を借りて「お疲れ様でした!!」
Monday, October 06, 2008
恐る恐る
Sunday, May 11, 2008
愛知県
5カ月振りの更新です。もうだれもこのページ見なくなってますかね。今朝方の4時なんですが、また細々と再開したく、書かせて頂きます。
9日から中部打楽器フェスティバルのために愛知県名古屋市に入ってました。今回の旅の、すべての人との出会いは僕に力とやる気を与えてくれました。
こんなに暖かい人に触れたのは本当に久し振りです。暖かい人に触れ、深いところまでお話したり、その方の寛大な人柄を感じ取ることが出来ると、心に元気が戻り、またいい演奏をしようと努力する気になるんですが、まさに今回はそれを強烈に感じました。フェスティバルもそんな人の集まりの元で行われていたので、本当に暖かい、素晴らしいものだったと思います。
そんなところに、僕なんかがゲストとして呼ばれ、本当に感謝しております。
最後までスペシャルな名古屋滞在でした。
この後は、今度の週末にある、真島先生のマリンバ協奏曲の秋田県新屋高等学校さんとの再演に向けて頑張ります。実は5日の日に3楽章だけ共演したんですが、新屋高校はうまいです。そんな名演奏をバックにやらせてもらえるんだから、明日から引きこもり練習の始まりです。
9日から中部打楽器フェスティバルのために愛知県名古屋市に入ってました。今回の旅の、すべての人との出会いは僕に力とやる気を与えてくれました。
こんなに暖かい人に触れたのは本当に久し振りです。暖かい人に触れ、深いところまでお話したり、その方の寛大な人柄を感じ取ることが出来ると、心に元気が戻り、またいい演奏をしようと努力する気になるんですが、まさに今回はそれを強烈に感じました。フェスティバルもそんな人の集まりの元で行われていたので、本当に暖かい、素晴らしいものだったと思います。
そんなところに、僕なんかがゲストとして呼ばれ、本当に感謝しております。
最後までスペシャルな名古屋滞在でした。
この後は、今度の週末にある、真島先生のマリンバ協奏曲の秋田県新屋高等学校さんとの再演に向けて頑張ります。実は5日の日に3楽章だけ共演したんですが、新屋高校はうまいです。そんな名演奏をバックにやらせてもらえるんだから、明日から引きこもり練習の始まりです。
Sunday, December 30, 2007
出会い
またいつものように長い間更新をしていませんでした。いつもブログの始まりが謝罪なので、ブログを見てくださってる皆さんも、もうそろそろ更新をしない自分に慣れてきてますよね。
さあ、開き直って。
今年ももう残すところあと2日ですね。今年も本当に色々なことがありました。
何よりも、「出会い」の多かった一年だったと思います。出会いは新しいところに行ったり、新しいことをしだすと、常にどこにでもあるものですが、その出会いというのは必ずしもすべてが心の奥底に入りこんでいくものではありません。ですが、今年の出会いは特に心に残るものばかりで、その人と交わした会話や、ときにはその人の人柄まで鮮明に覚えています。そんな人の出会いで、今年は自分をもっと人間らしく、そして成長するきっかけを与えてくれました。
その中から11月の日本での出会いをちょっと取り上げますね。
身内ごとですが、今年の11月に家の兄が結婚しました。我が家初の結婚式準備で、両親・兄はそうとうアワアワ・カリカリしていたんじゃないでしょうかね。(こういう時に、アメリカに住んでて良かったなあって思うのは、親不孝ものだからですかね。)そんな両親・兄が結構色々なことで神経を使った甲斐があり、身内の俺が言うのもなんですがその結婚式は素敵なものになっていました。何よりも、兄の奥さんになる方(っていうか俺の姉さんって言うんですよね)、凄い綺麗な人なんです。ドレスで登場したときなんか、俺興奮。「兄さんも、結構やるなあ」って思いましたね。
話は本題に。。。
そこで出会った兄の会社の社長。この方の人柄というか、存在感には本当に驚きました。社長と言うと、友達なんかの話を聞いてて自分の中ではステレオタイプが出来上がっているのですが、この方は見事にその型を破ってくださりました。今の世の中、会社の話で人からいい話を聞くことってあんまり無いのですが、この方は会社を愛し、仕事を生きがいとし、自分の立場に責任を感じながら、部下とはきちんとした人間関係を築きあげていっており、家の兄は本当に幸せ者だなと、そして安心感すら覚えました。こんな社長がいる会社に兄がいることに、ちょっと誇りさえ感じた時でしたね。(って、言いすぎでした。)
そして結婚式の2次会では、普段会うことのない兄と姉さん(って呼ぶの、まだ慣れないです)の友達と飲みました。これがまた楽しいかったぁ。久しぶりに会った俺の弟も参加し、姉さんの友達とは何だか気があって、3次会でかなりワイワイ騒ぎました。一年に一回だけ、僕は凄い飲むんですが(量、半端でないです)、それがその時でしたね。一年分飲みました。
そしてアメリカに帰る前々日には、地元で秋田県吹奏楽連盟の役員の方々、県内の吹奏楽部顧問の先生方の集まりがあり、そこでとある方(フルートのMさんとでもしておきますか。)と指揮のS先生お力で、その集まりで演奏させていただくことになったんです。
とにかくマリンバという楽器は知名度も低ですし、実際に演奏を聞かないと分かってもらえない楽器なんです。そんな訳で、このフルートのMさんのお力・行動力というのには、この上なく感謝しております。ありがとうございます。
という訳で、僕の名前は新聞やテレビで観ましたというような先生が初めて生で僕の演奏を見てくださることになり、その演奏のための準備は素晴らしいといえるほど出来ませんでしたが、一生懸命演奏しました。結構無我夢中で演奏しましたね。だって、考えてみたら会場の全員が音楽家なんですもん。何かオーディション会場にいるような気さえもしました。
その演奏後の反響には、これまた涙もの。。。音楽やってて良かったなあって思えるようなコメントを、吹奏楽コンクールの全国大会常連校の先生からいただいたり、共演のお話をいただいたりと、一気に疲れきっていた心のエネルギーは、満たされた気がしました。
まだまだ書きたいものがたくさんあったのですが、全部書いたらこのブログのページが全部埋まってしまいそうなのでこの辺で11月のは終わりにしますね。
それで年末の極め付けがあるんです。
話はさかのぼること、2006年の6月に日本行きの飛行機で出会った叔母様の話。あの叔母様に、「東京での演奏会があったら、お知らせくださいね」ということで、今年の9月にあった東京でのコンサートのお知らせを出したんです。そしたらその演奏会に、演奏会のチケットの何倍はするだろうチョーでかいゴディバの贈り物を持って来ていただいたんです。僕の演奏後にすぐに帰ってしまったということで、次の日に演奏会の感想を電話で頂き、まずそこでウルウル。そのウルウルを、お礼を兼ねてアメリカから手紙でお伝えしなければと思っていたのに、忙しさにかまけて早一ヶ月ちょいが過ぎた昨日、また年末のご挨拶のお手紙ということでその方から葉書が届いていたんです。あの手紙をいただいた瞬間は嬉しくてしょうがなかったんですが、2,3分して冷静になって考えて、今度は自分の筆不精振りに頭にきましたね。しかもかなり。。。頭に来すぎて、しょげちゃいました。山から谷に落ちる感じですね。
その手紙を読んで、これまたウルウルし、心にエネルギーが注がれました。今度こそ、手紙書きます。
来年の抱負は、「筆まめになる」です。って、筆不精を何年もやっている俺が何言っているんだろう、って思う人、このブログを読んでくださっている人の中にいるはず。。。テストで0点の人が、次は100点取るって言ってるのと同じですもん。
しかも、「筆まめ」を漢字で書くと「筆忠実」。漢字で書くと何か重い言葉だなあ。。。
とにかく、頑張りまーーーす。
それでは、良い新年をお迎えくださいませ。そして来年も布谷史人の応援、今後もよろしくお願いします。
さあ、開き直って。
今年ももう残すところあと2日ですね。今年も本当に色々なことがありました。
何よりも、「出会い」の多かった一年だったと思います。出会いは新しいところに行ったり、新しいことをしだすと、常にどこにでもあるものですが、その出会いというのは必ずしもすべてが心の奥底に入りこんでいくものではありません。ですが、今年の出会いは特に心に残るものばかりで、その人と交わした会話や、ときにはその人の人柄まで鮮明に覚えています。そんな人の出会いで、今年は自分をもっと人間らしく、そして成長するきっかけを与えてくれました。
その中から11月の日本での出会いをちょっと取り上げますね。
身内ごとですが、今年の11月に家の兄が結婚しました。我が家初の結婚式準備で、両親・兄はそうとうアワアワ・カリカリしていたんじゃないでしょうかね。(こういう時に、アメリカに住んでて良かったなあって思うのは、親不孝ものだからですかね。)そんな両親・兄が結構色々なことで神経を使った甲斐があり、身内の俺が言うのもなんですがその結婚式は素敵なものになっていました。何よりも、兄の奥さんになる方(っていうか俺の姉さんって言うんですよね)、凄い綺麗な人なんです。ドレスで登場したときなんか、俺興奮。「兄さんも、結構やるなあ」って思いましたね。
話は本題に。。。
そこで出会った兄の会社の社長。この方の人柄というか、存在感には本当に驚きました。社長と言うと、友達なんかの話を聞いてて自分の中ではステレオタイプが出来上がっているのですが、この方は見事にその型を破ってくださりました。今の世の中、会社の話で人からいい話を聞くことってあんまり無いのですが、この方は会社を愛し、仕事を生きがいとし、自分の立場に責任を感じながら、部下とはきちんとした人間関係を築きあげていっており、家の兄は本当に幸せ者だなと、そして安心感すら覚えました。こんな社長がいる会社に兄がいることに、ちょっと誇りさえ感じた時でしたね。(って、言いすぎでした。)
そして結婚式の2次会では、普段会うことのない兄と姉さん(って呼ぶの、まだ慣れないです)の友達と飲みました。これがまた楽しいかったぁ。久しぶりに会った俺の弟も参加し、姉さんの友達とは何だか気があって、3次会でかなりワイワイ騒ぎました。一年に一回だけ、僕は凄い飲むんですが(量、半端でないです)、それがその時でしたね。一年分飲みました。
そしてアメリカに帰る前々日には、地元で秋田県吹奏楽連盟の役員の方々、県内の吹奏楽部顧問の先生方の集まりがあり、そこでとある方(フルートのMさんとでもしておきますか。)と指揮のS先生お力で、その集まりで演奏させていただくことになったんです。
とにかくマリンバという楽器は知名度も低ですし、実際に演奏を聞かないと分かってもらえない楽器なんです。そんな訳で、このフルートのMさんのお力・行動力というのには、この上なく感謝しております。ありがとうございます。
という訳で、僕の名前は新聞やテレビで観ましたというような先生が初めて生で僕の演奏を見てくださることになり、その演奏のための準備は素晴らしいといえるほど出来ませんでしたが、一生懸命演奏しました。結構無我夢中で演奏しましたね。だって、考えてみたら会場の全員が音楽家なんですもん。何かオーディション会場にいるような気さえもしました。
その演奏後の反響には、これまた涙もの。。。音楽やってて良かったなあって思えるようなコメントを、吹奏楽コンクールの全国大会常連校の先生からいただいたり、共演のお話をいただいたりと、一気に疲れきっていた心のエネルギーは、満たされた気がしました。
まだまだ書きたいものがたくさんあったのですが、全部書いたらこのブログのページが全部埋まってしまいそうなのでこの辺で11月のは終わりにしますね。
それで年末の極め付けがあるんです。
話はさかのぼること、2006年の6月に日本行きの飛行機で出会った叔母様の話。あの叔母様に、「東京での演奏会があったら、お知らせくださいね」ということで、今年の9月にあった東京でのコンサートのお知らせを出したんです。そしたらその演奏会に、演奏会のチケットの何倍はするだろうチョーでかいゴディバの贈り物を持って来ていただいたんです。僕の演奏後にすぐに帰ってしまったということで、次の日に演奏会の感想を電話で頂き、まずそこでウルウル。そのウルウルを、お礼を兼ねてアメリカから手紙でお伝えしなければと思っていたのに、忙しさにかまけて早一ヶ月ちょいが過ぎた昨日、また年末のご挨拶のお手紙ということでその方から葉書が届いていたんです。あの手紙をいただいた瞬間は嬉しくてしょうがなかったんですが、2,3分して冷静になって考えて、今度は自分の筆不精振りに頭にきましたね。しかもかなり。。。頭に来すぎて、しょげちゃいました。山から谷に落ちる感じですね。
その手紙を読んで、これまたウルウルし、心にエネルギーが注がれました。今度こそ、手紙書きます。
来年の抱負は、「筆まめになる」です。って、筆不精を何年もやっている俺が何言っているんだろう、って思う人、このブログを読んでくださっている人の中にいるはず。。。テストで0点の人が、次は100点取るって言ってるのと同じですもん。
しかも、「筆まめ」を漢字で書くと「筆忠実」。漢字で書くと何か重い言葉だなあ。。。
とにかく、頑張りまーーーす。
それでは、良い新年をお迎えくださいませ。そして来年も布谷史人の応援、今後もよろしくお願いします。
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