今回のリサイタルツアーの大館公演、山形公演では、3月のブログに登場した誉田君の器の大きさに救われてました。前回も書いたけど、彼は弟のようでありながら、実は俺の兄なのではと思わせる、クールに落ち着いた、それでいて温かい人です。
そんな誉田君、最近ウェブサイトを立ち上げたので、皆さんにご紹介させてください。
http://hiroyahondamarimba.weebly.com/
今どきの手作りウェブサイトはここまで美しくなるのですね。俺がウェブサイトを立ち上げた2005年の秋頃は、手作りではこんなにかっこよくできませんでした。
というか、俺が不器用すぎるのかな・・・
誉田君は今、宮城県をベースに東北でソロや室内楽等の演奏活動をしています。彼は俺には持っていない色彩感と、大きな愛で :)、演奏を聴かせてくれます。お近くの方は是非彼の演奏会に足を運んでください。
そしてこれは前回も書きましたが、彼、マレットのまき直しがかなり上手なんです。俺のマレットのまき直しはすべて彼が手がけてますし、むしろ彼がまき直してくれたものでないと何だか演奏する気にならない、とまで思ってしまうほどです。欲しい音、音色に応じて、まき方の微妙な強さ加減や毛糸の種類もしっかり考えて巻いてくれます。(だよね、誉田君?)
ウェブサイトに連絡先が書いてあるようなので、入用の方は是非ご利用ください。
P.S.「誉田君」というタイトルでシリーズものにしたくなってます。
Thursday, September 30, 2010
Tuesday, September 28, 2010
感謝、そして目に見えない力
9月がようやく終わりに差し掛かった。今月頭から、京都、秋田、大館でのリサイタルツアーをさせていただいたのだが、7月、8月に自分は立ち止って考えていた分、9月は頭から全力で突っ走った感がある。
今日は今回の共演者であったAndrey君を成田空港で見届け、僕のリサイタルツアーにやっと終止符を打てた。彼が無事にデトモルトに帰り着くことを願いつつ、こうしてブログに来た。
実は今年4月の終わりから、左手首に今まで味わったことのない痛みを感じ始めていた。だが生活が出来なくなるという理由で治療のために演奏活動を止めるわけにはいかず、引き続き練習や演奏、そして楽器の移動を繰り返しながら、その症状を悪化させ、9年分の荷物をまとめなくてはいけなかったアメリカの引っ越し、そしてその引っ越しの疲れを引きずったままに迎えた7月頭のZMFの演奏で、その演奏の次の日から手首が回せない、さらにはマレットも握れない状態にまで悪化した。日本に帰国後、それが腱鞘炎と分かり治療を進めていたものの、中々治りが感じられず不安を感じていた最中、とある人の紹介で鍼治療の先生を勧められた。その先生のお力はもちろん、9月のリサイタルツアーに関与してくださった沢山の方の思いと優しさで、8月の最後の週あたりから何とか5,6時間練習できるほどまで回復した。
今まで腱鞘炎になった人を何度か見てきたし、僕が昨年度教えていたデトモルト音楽院の生徒でも手の痛みで悩んでいる子が数人いた。ただ、自分は腱鞘炎というものを患っていなかったので、その人たちの本当の痛みが分からなかったが、これで十分に理解できた気がするし、これからももっと深いレベルで分かってあげられる気がする。最初は腱鞘炎を患ったことを悔やんでいたが、今振り返るととてもいい勉強だったし、自分の身を削って自分の出来る精いっぱいの音楽を演奏してきたからこその証なのかもしれない、とそう感じられるようになった。(物事はプラスに考えれば、プラスなんですよね:)
その腱鞘炎のこともあり、「リサイタルのために精いっぱいの準備ができていないのではないか」、「この手が悪化したらどうなるのか」など色々な不安を抱えつつ、その中で共演者を迎え、そして短い期間でのリハーサルでまとめ上げて本番をするというのは、精神的にも体力的にも相当にきつかった。今回の共演者は、僕が彼のピアノの音色に衝撃と感動を覚え(本当は彼、マリンバ専攻生ですが)、招へいすることにしたのだが、実は僕とは全く違う頭脳派の中々の強者で、覚悟はしていたがリハーサルでは音で言い合いになったり、時には言葉でも言い合いになったり、本番直前までどうなるのか、どうしたらいいのか分からず頭の中はめちゃくちゃな状態だったこともあった。でも沢山の方が僕らの演奏に対して純粋に抱いてくださっていた「いい演奏会になりますように」というそういう思いの力と、演奏を楽しみにしてくださっているお客さんの力で、僕もAndrey君もかなり救われ、そしてどの3公演もリハーサルよりとは比べ物にならないくらいお互いを信じ、聴き合うことができ、出来る限りお互いを尊重し合えることができ、反省点はあるものの、お客さんに喜んでもらえるものが出来たのかなと終演の拍手、そして直にお客さんとお話しすることで感じさせていただいた。そして演奏を重ねていくたびに、落ち着いて色々なことを考えることができたし、2人で話し合いもできたし、少しずつAndrey君のことも理解しながら、音も近づけていけた。
そして今回のリサイタルツアーを進めていく中で、自分の周りで色々と働いている目に見えない力も感じた。でもそれは「自分がこれからも沢山の人の幸せを願いながら音楽を通してより多くの方の生活に少しだけ風を吹きかけたい」という想いを、マリンバという楽器を通して音にしていくため音楽を続けていくことが自分の道なのかもしれない、とそう思わせるものであった。
今回も沢山の出会い、そして優しさに触れたが、まだまだ十分なお礼が出来ておらず、申し訳ありません。この場を借りて、ひとまずお礼を申し上げたいと思います。
本当に、本当に、本当にありがとうございました。
(メールを送ってくださった方には、これからゆっくり返信いたしますのでお待ちください。)
今日は今回の共演者であったAndrey君を成田空港で見届け、僕のリサイタルツアーにやっと終止符を打てた。彼が無事にデトモルトに帰り着くことを願いつつ、こうしてブログに来た。
実は今年4月の終わりから、左手首に今まで味わったことのない痛みを感じ始めていた。だが生活が出来なくなるという理由で治療のために演奏活動を止めるわけにはいかず、引き続き練習や演奏、そして楽器の移動を繰り返しながら、その症状を悪化させ、9年分の荷物をまとめなくてはいけなかったアメリカの引っ越し、そしてその引っ越しの疲れを引きずったままに迎えた7月頭のZMFの演奏で、その演奏の次の日から手首が回せない、さらにはマレットも握れない状態にまで悪化した。日本に帰国後、それが腱鞘炎と分かり治療を進めていたものの、中々治りが感じられず不安を感じていた最中、とある人の紹介で鍼治療の先生を勧められた。その先生のお力はもちろん、9月のリサイタルツアーに関与してくださった沢山の方の思いと優しさで、8月の最後の週あたりから何とか5,6時間練習できるほどまで回復した。
今まで腱鞘炎になった人を何度か見てきたし、僕が昨年度教えていたデトモルト音楽院の生徒でも手の痛みで悩んでいる子が数人いた。ただ、自分は腱鞘炎というものを患っていなかったので、その人たちの本当の痛みが分からなかったが、これで十分に理解できた気がするし、これからももっと深いレベルで分かってあげられる気がする。最初は腱鞘炎を患ったことを悔やんでいたが、今振り返るととてもいい勉強だったし、自分の身を削って自分の出来る精いっぱいの音楽を演奏してきたからこその証なのかもしれない、とそう感じられるようになった。(物事はプラスに考えれば、プラスなんですよね:)
その腱鞘炎のこともあり、「リサイタルのために精いっぱいの準備ができていないのではないか」、「この手が悪化したらどうなるのか」など色々な不安を抱えつつ、その中で共演者を迎え、そして短い期間でのリハーサルでまとめ上げて本番をするというのは、精神的にも体力的にも相当にきつかった。今回の共演者は、僕が彼のピアノの音色に衝撃と感動を覚え(本当は彼、マリンバ専攻生ですが)、招へいすることにしたのだが、実は僕とは全く違う頭脳派の中々の強者で、覚悟はしていたがリハーサルでは音で言い合いになったり、時には言葉でも言い合いになったり、本番直前までどうなるのか、どうしたらいいのか分からず頭の中はめちゃくちゃな状態だったこともあった。でも沢山の方が僕らの演奏に対して純粋に抱いてくださっていた「いい演奏会になりますように」というそういう思いの力と、演奏を楽しみにしてくださっているお客さんの力で、僕もAndrey君もかなり救われ、そしてどの3公演もリハーサルよりとは比べ物にならないくらいお互いを信じ、聴き合うことができ、出来る限りお互いを尊重し合えることができ、反省点はあるものの、お客さんに喜んでもらえるものが出来たのかなと終演の拍手、そして直にお客さんとお話しすることで感じさせていただいた。そして演奏を重ねていくたびに、落ち着いて色々なことを考えることができたし、2人で話し合いもできたし、少しずつAndrey君のことも理解しながら、音も近づけていけた。
そして今回のリサイタルツアーを進めていく中で、自分の周りで色々と働いている目に見えない力も感じた。でもそれは「自分がこれからも沢山の人の幸せを願いながら音楽を通してより多くの方の生活に少しだけ風を吹きかけたい」という想いを、マリンバという楽器を通して音にしていくため音楽を続けていくことが自分の道なのかもしれない、とそう思わせるものであった。
今回も沢山の出会い、そして優しさに触れたが、まだまだ十分なお礼が出来ておらず、申し訳ありません。この場を借りて、ひとまずお礼を申し上げたいと思います。
本当に、本当に、本当にありがとうございました。
(メールを送ってくださった方には、これからゆっくり返信いたしますのでお待ちください。)
Wednesday, July 28, 2010
アメリカ→ドイツ→ちょっとオランダ→ドイツ→日本

やっとこうしてここに戻って来れました。(実家にも戻って来れました!!)
まずはお知らせです。大変光栄な事に、2010年の秋からデトモルト音楽院でマリンバの講師としてドイツに戻れる事が決まりました。
こ の大変ありがたいお話、実は3月には決まっていたのですが、素直に喜べない自分もいました。だからここに戻ってくるのに時間がかかった、というのが正直な ところです。この数ヶ月間は迷い、ゆっくり考え、時にはうろたえ、そして最後にようやく見つけ出した細い光を頼りに、それを信じてまた再出発していこうと 決意した期間でありました。周りから見ると、スムーズに進んでいることでも、本人の心の内はそういうものでもないということ、ありますよね。僕はちょうど その時期だったようです。
でもこういう期間があるからこそ、また改めて自分を見つめ、少しだけ自分を知り、少しだけその自分を受け入れよ うとすること出来たし、更には自分の生活に音楽があるありがたさ、音楽が出来る環境、させてもらえている環境、そして家族、友人、僕の音楽を応援してくだ さっている方への感謝の念がよりいっそう深くなるんですよね。
英語が全くというほど通じない状況でボストンに降り立ってから、約9年間。 楽しいことも、苦しいことも、泣いたことも、感動したことも、怖い思いをしたことも、幸せなことも、不運なことも、本当に、本当に色々とありました。文化 も、言葉も、肌の色も違う人種がそれぞれの居場所を見つけて暮らすアメリカで、その地に行くまでまったく面識も無かった僕の恩師であるNancy Zeltsman先生、Dr. Karl Paulnack先生に出会えたこと、言葉の壁を超え心で繋がれる親友を見つけられたこと、命・生きることを考えされされたこと・・・書き出すと切があり ませんが、音楽家である前に、まず人として心豊かに、そして今の自分の境遇に感謝しながら幸せに生きるということを、アメリカ生活は僕に教えてくれまし た。そのすべてがやっと少しずつ僕の心の中に整理されて仕舞われていますし、それらはきっと僕の音となってくれるのでしょう。
そのアメリ カ生活をこの6月を持って引き払いました。第二の故郷となったその地を離れることは、本当に悲しいです。でも、僕の人生に吹いてくれている風に感謝し、身 を任せ、約9年前にアメリカの地に降り立ったように、また新しい生活をドイツでするために出発します。31歳にはなりましたが、まだまだ自分の脳みそを固 めすぎずに、新しい土地で感じる様々なことを自分の中に吸収し、自分の音楽にまた新しい色を添えたいなあ、と今はそういう思いです。
時間はかかりましたが、やっとこうして何とか言葉に出来たことで、また前に進めそうです。
写真はボストンを見ながら夕日が見える、僕のお気に入りのスポットの写真です。
Sunday, March 14, 2010
誉田君
3月12日にボストン音楽院で行われた、僕の山形大学(山大)の後輩でもある誉田広耶君のマリンバ・リサイタルに行ってきました。
山大の後輩とは言えども、僕が山大に在学していた時期とはまったくかぶっていなかったのですが(ということは彼は俺よりも随分の若者)、ちょっとした縁があり、彼とは確か5年近くの付き合いになります。山大を卒業後は、僕も辿ってきた道でもあるボストン音楽院に入学したということもあり、弟のように付き合わせてもらってました。(もちろん、この2人の関係の場合、弟の方が上手です。)
初めてきちんと彼のことを知ることになったきっかけが、彼の演奏を聞かせてもらうことで、それから5年間、機会がある度に演奏を聞かせてもらったり、色々な彼の身の上話を聞かせてもらったりしていたので、演奏会の最初の数音は、その彼の5年間の音楽の、そして人生の歩みを思いながら聴かせてもらってたのですが・・・
彼の音楽に対しての集中力、至る所で湧き出る表情の豊かさにのせて聞こえてくる「歌」に引き込まれて、そんな歩みなんか辿っているどころではない位、一観客として聞き入ってしまっている自分がいました。今までは聞き逃していたのか、それとも彼の中で持っていたものが新た引き出され、それが音色になったのか、今まで聴くことの出来なかった音への非常にきめの細やかな気配りが、僕には持っていないものだったりし、「凄い」と感嘆してしまう部分もありました。
マリンバソロオリジナル曲で始まったコンサートは、プログラムのほとんどがギターのソロ曲のアレンジものやマリンバを含む室内楽といった、曲の選択も順番も彼なりのコンセプトを持って組まれていたし、照明や演出にも彼のこだわりというか、彼らしさがいい風に出てました。最後の演出は「万歳」ものでした。ただ、31歳を迎えたばかりの俺には、字が細かすぎてまったく読めなかったのが残念でしたが・・・
2時間弱の演奏会はあっという間に終わり、文句なしのスタンディング・オーベーション。その演奏会の余韻は実に気持ちのいい爽快感で一杯でした。演奏会後の爽快感ってそう頻繁に感じるものではないのですが、彼がこのコンサートに向けて一生懸命でなおかつ大事に準備してきたこと、考えて考えて音楽を作り上げ、それが彼の音楽として魂から出ていたこと、そして彼の純粋さ・温かさがきっとそういう気持ちにさせてくれたのでしょう。
彼の今後、本当に楽しみになってきました。この6月で日本に完全帰国するので、日本の皆様、機会があったら是非聴いてやってください。
そして誉田君、また酒飲みに行こう!
(そうそう、彼はマレット巻き直しのかなりの、っていうかかなりの名人でもありますよ。)
山大の後輩とは言えども、僕が山大に在学していた時期とはまったくかぶっていなかったのですが(ということは彼は俺よりも随分の若者)、ちょっとした縁があり、彼とは確か5年近くの付き合いになります。山大を卒業後は、僕も辿ってきた道でもあるボストン音楽院に入学したということもあり、弟のように付き合わせてもらってました。(もちろん、この2人の関係の場合、弟の方が上手です。)
初めてきちんと彼のことを知ることになったきっかけが、彼の演奏を聞かせてもらうことで、それから5年間、機会がある度に演奏を聞かせてもらったり、色々な彼の身の上話を聞かせてもらったりしていたので、演奏会の最初の数音は、その彼の5年間の音楽の、そして人生の歩みを思いながら聴かせてもらってたのですが・・・
彼の音楽に対しての集中力、至る所で湧き出る表情の豊かさにのせて聞こえてくる「歌」に引き込まれて、そんな歩みなんか辿っているどころではない位、一観客として聞き入ってしまっている自分がいました。今までは聞き逃していたのか、それとも彼の中で持っていたものが新た引き出され、それが音色になったのか、今まで聴くことの出来なかった音への非常にきめの細やかな気配りが、僕には持っていないものだったりし、「凄い」と感嘆してしまう部分もありました。
マリンバソロオリジナル曲で始まったコンサートは、プログラムのほとんどがギターのソロ曲のアレンジものやマリンバを含む室内楽といった、曲の選択も順番も彼なりのコンセプトを持って組まれていたし、照明や演出にも彼のこだわりというか、彼らしさがいい風に出てました。最後の演出は「万歳」ものでした。ただ、31歳を迎えたばかりの俺には、字が細かすぎてまったく読めなかったのが残念でしたが・・・
2時間弱の演奏会はあっという間に終わり、文句なしのスタンディング・オーベーション。その演奏会の余韻は実に気持ちのいい爽快感で一杯でした。演奏会後の爽快感ってそう頻繁に感じるものではないのですが、彼がこのコンサートに向けて一生懸命でなおかつ大事に準備してきたこと、考えて考えて音楽を作り上げ、それが彼の音楽として魂から出ていたこと、そして彼の純粋さ・温かさがきっとそういう気持ちにさせてくれたのでしょう。
彼の今後、本当に楽しみになってきました。この6月で日本に完全帰国するので、日本の皆様、機会があったら是非聴いてやってください。
そして誉田君、また酒飲みに行こう!
(そうそう、彼はマレット巻き直しのかなりの、っていうかかなりの名人でもありますよ。)
Tuesday, March 09, 2010
Youtube
雪男の僕がボストンに戻ってきた3月頭は、冷え込みが凄く、おまけに雪まで降ってくれました。今年の冬は、僕が訪れるところはまず寒さと雪で歓迎でした。でも、昨日頃からようやく雪男の名前もシーズンオフです。昨日からボストンには春の陽気、むんむんです。もう新年度なんですね。
話は突然変わり、この度Youtubeにビデオをアップしました。自分でYoutubeに載せる、というのは初なんです。(ただ、自力でYoutubeに載せてません。Yuki君、ありがとう。)
僕の演奏が観れるビデオは今まで何本かYoutubeに載せられていたのですが、あれらは僕が希望したものではなく、さらに言うと無許可で載せられたものです。まあ、最初はびっくりしましたが、インターネットでどんどん広がって行く社会ですし、実際に僕の演奏も、良くも悪くもそのビデオ達で広がって行ってくれていたようです。
今回のビデオは2月にデトモルト音楽院で行ったリサイタルの中から、ピアソラの作品のみ抜粋しました。今回のビデオのピアニスト、実はマリンバ専攻でデトモルト音楽院国家演奏家資格コースに在学しているロシア人の生徒なのですが、聴くとお分かりになりますがピアノも相当達者な方なんです。色々と事情があり、リサイタルの前に十分なリハーサルが出来なかったのでまだまだな点があるのですが、この人とのピアソラの演奏は何か特別なものを感じます。僕もピアソラ好きですが、彼も相当なピアソラ好きです。ホームページに後日詳しいことは掲載いたしますが、9月は京都・秋田・山形で、このピアニスト/マリンバ奏者を引き連れて演奏会をします。もしご都合がつくようでしたら、皆さん、是非いらしてください。
それではリンクです。
リベルタンゴ
http://www.youtube.com/watch?v=_iZRFb7LQuE
組曲「タンガータ 風神と水の精」
フガータ
http://www.youtube.com/watch?v=GTtmNiF4B6g
ソレダット(孤独)
http://www.youtube.com/watch?v=-H594JhKjek
終曲(タンガータ)
http://www.youtube.com/watch?v=Hefd8AKJ62Q
楽しんでいただければ幸いです。
話は突然変わり、この度Youtubeにビデオをアップしました。自分でYoutubeに載せる、というのは初なんです。(ただ、自力でYoutubeに載せてません。Yuki君、ありがとう。)
僕の演奏が観れるビデオは今まで何本かYoutubeに載せられていたのですが、あれらは僕が希望したものではなく、さらに言うと無許可で載せられたものです。まあ、最初はびっくりしましたが、インターネットでどんどん広がって行く社会ですし、実際に僕の演奏も、良くも悪くもそのビデオ達で広がって行ってくれていたようです。
今回のビデオは2月にデトモルト音楽院で行ったリサイタルの中から、ピアソラの作品のみ抜粋しました。今回のビデオのピアニスト、実はマリンバ専攻でデトモルト音楽院国家演奏家資格コースに在学しているロシア人の生徒なのですが、聴くとお分かりになりますがピアノも相当達者な方なんです。色々と事情があり、リサイタルの前に十分なリハーサルが出来なかったのでまだまだな点があるのですが、この人とのピアソラの演奏は何か特別なものを感じます。僕もピアソラ好きですが、彼も相当なピアソラ好きです。ホームページに後日詳しいことは掲載いたしますが、9月は京都・秋田・山形で、このピアニスト/マリンバ奏者を引き連れて演奏会をします。もしご都合がつくようでしたら、皆さん、是非いらしてください。
それではリンクです。
リベルタンゴ
http://www.youtube.com/watch?v=_iZRFb7LQuE
組曲「タンガータ 風神と水の精」
フガータ
http://www.youtube.com/watch?v=GTtmNiF4B6g
ソレダット(孤独)
http://www.youtube.com/watch?v=-H594JhKjek
終曲(タンガータ)
http://www.youtube.com/watch?v=Hefd8AKJ62Q
楽しんでいただければ幸いです。
Monday, February 15, 2010
デトモルト音楽院
昨年の10月から通っていたデトモルト音楽院での生活が遂に終わってしまった。そしてボストンに帰ってきてみたら、俺の中に何か大きな穴がぽっかり空いている事に気付いた。
必死に過ごした5ヶ月間は、俺にとって人生生まれて初めてと言っても過言で無いくらいの人生の勉強をさせてもらったし、勇気をもらった。苦しかったし、悩んだし、眠れなかった日もあったからこそ、充実していたし、温かくなったし、少しだけ強くなったし、そして幸せだった。
「音楽とは何か」って、まだその未知の部分は計り知れないものがあるはずだけど、自分にとって音楽とは、その人の「生き方」の選択を表現する芸術であるんじゃないかなあ、と最近思うようになった。だからレッスンをさせてもらうってことは、自分の生き方を共有するものでもあり、こういう機会を俺のこの人生のタイミングでドイツで頂くことが出来、俺の人生の共有をこのデトモルト音楽院でさせてもらったことには、本当に本当に自分にとって意味深いものであり、感謝してもし足りないくらいだった。
国も人種も違う人が、デトモルト音楽院の打楽器ハウスに集まり、一緒に音楽を創っていく。昔、自分が思うアメリカでの生活を僕のピアノ先生に話したときに、「布谷は国や人種で人を判断しなくなれば、きっとまた新しいステップに進めるよ」と言われたのだが、それが今回の機会でその言葉の意味を理解し、納得できた気がする。
俺は本当にこのデトモルト音楽院の打楽器ハウスで過ごせて幸せだったし、俺の弟・妹のような生徒達、みんなを好きになった。そしてみんなのお陰で、また立ち上がって音楽を続けて行けそうな気がする。
このブログ、きっとその子らには読んでもらえてないと思うけど、この場を借りて、「Vielen Dank!!」
Wednesday, January 06, 2010
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
ご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。前回の更新から僕の生活は一気に忙しくなり、その上家でインターネットが使えなくなったことを理由に、またサボってしまいました。
明けましておめでとうございます。昨年も応援してくださった皆様、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年10月に始まったドイツの生活も、もう3ヶ月が経ち、後残すところ1ヶ月半。この場では書ききれないほど色々な生徒や人に出会い、様々なことを学び、そして沢山のクラシック音楽家を生み出した国の風を感じてきました。そのすべてが音楽家として生きている僕にとっては最高の刺激となり、「僕はなんて幸せ何だろう」と思っていた昨年の12月中旬、僕の脳裏に突然、「んじゃあ、ドイツに住んでみればいいじゃん」という声が・・・
この声、高校3年のときにも聞こえました。あの頃の僕は偏差値もそんなに良くなかったのに
高校の化学の先生になることに情熱を燃やしており、当時の担任先生と一緒に北海道教育大学の化学課程を見学するため、同大学に行ってました。説明会がちょうどお昼休みの後だったので、それが始まる前に担任を外に待たせてトイレに入りました。
そしたら急に「音楽に行かなくていいの?」と誰かに言われたように、そう頭によぎったんです。
「そうだよね」と変に納得した僕は、トイレの外で待っていた担任の先生に「俺、やっぱり音楽の説明会に行ってきます」と言い残し、ピアノの練習している音の聞こえる方に向かいました。
説明会の行われている部屋を見つけると、そこには聴音ばっちり、ソルフェージュばっちり、新曲視唱ばっちり、実技はもちろんばっちりと言わんばかりの優等生の5人が既に説明を受けており、音楽課程の説明会の登録をしていなかった僕は、先生からも受講生の方からも、誰ですか?という目で見られた上、聴音もソルフェージュも新曲視唱も、それがいったい何なのか知らないという状態がばれ、これでもかという位赤っ恥をかいてきました。
でも、それが無ければ今の自分は無かったでしょう。
きっとこの「ドイツに住んでみればいいじゃん」もどんな風にかはまったく想像がつきませんが、また赤っ恥をかくことになるのかもしれません。でも、赤っ恥をかけばきっと自分は強くなるし、もしそこまで恥をかかなかったとしても、そう思えたことが自分には大きな成長のステップの一つになるのだと思います。どんな風な形でドイツに住むことになるのかはまだ分かりませんが、またはっきりとお知らせが出来るようになったら、この場で述べたいと思います。
という訳で、ひとまず今年の6月一杯でアメリカ生活にピリオドを打つことに決めました。
2001年7月31日、初めて乗った飛行機の中から今は無きニューヨークのWorld Trade Centerを見て、自分はこの国で変われると思ったあの日が、昨日のように思い出されます。アメリカに来て沢山の素晴らしい人に出会い、そして様々な経験を積み、僕の世界が広がりました。その人たちから離れることになるのは非常に寂しいですが、僕の中でその人たちの存在はずっと生き続けますし、そして何よりも心から感謝しております。
男布谷、30歳にして大胆な決断だとは十二分に承知ですが、どうぞこれからも引き続き応援をよろしくお願いいたします。
そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
布谷史人
明けましておめでとうございます。昨年も応援してくださった皆様、また今年もどうぞよろしくお願いいたします。
昨年10月に始まったドイツの生活も、もう3ヶ月が経ち、後残すところ1ヶ月半。この場では書ききれないほど色々な生徒や人に出会い、様々なことを学び、そして沢山のクラシック音楽家を生み出した国の風を感じてきました。そのすべてが音楽家として生きている僕にとっては最高の刺激となり、「僕はなんて幸せ何だろう」と思っていた昨年の12月中旬、僕の脳裏に突然、「んじゃあ、ドイツに住んでみればいいじゃん」という声が・・・
この声、高校3年のときにも聞こえました。あの頃の僕は偏差値もそんなに良くなかったのに
高校の化学の先生になることに情熱を燃やしており、当時の担任先生と一緒に北海道教育大学の化学課程を見学するため、同大学に行ってました。説明会がちょうどお昼休みの後だったので、それが始まる前に担任を外に待たせてトイレに入りました。
そしたら急に「音楽に行かなくていいの?」と誰かに言われたように、そう頭によぎったんです。
「そうだよね」と変に納得した僕は、トイレの外で待っていた担任の先生に「俺、やっぱり音楽の説明会に行ってきます」と言い残し、ピアノの練習している音の聞こえる方に向かいました。
説明会の行われている部屋を見つけると、そこには聴音ばっちり、ソルフェージュばっちり、新曲視唱ばっちり、実技はもちろんばっちりと言わんばかりの優等生の5人が既に説明を受けており、音楽課程の説明会の登録をしていなかった僕は、先生からも受講生の方からも、誰ですか?という目で見られた上、聴音もソルフェージュも新曲視唱も、それがいったい何なのか知らないという状態がばれ、これでもかという位赤っ恥をかいてきました。
でも、それが無ければ今の自分は無かったでしょう。
きっとこの「ドイツに住んでみればいいじゃん」もどんな風にかはまったく想像がつきませんが、また赤っ恥をかくことになるのかもしれません。でも、赤っ恥をかけばきっと自分は強くなるし、もしそこまで恥をかかなかったとしても、そう思えたことが自分には大きな成長のステップの一つになるのだと思います。どんな風な形でドイツに住むことになるのかはまだ分かりませんが、またはっきりとお知らせが出来るようになったら、この場で述べたいと思います。
という訳で、ひとまず今年の6月一杯でアメリカ生活にピリオドを打つことに決めました。
2001年7月31日、初めて乗った飛行機の中から今は無きニューヨークのWorld Trade Centerを見て、自分はこの国で変われると思ったあの日が、昨日のように思い出されます。アメリカに来て沢山の素晴らしい人に出会い、そして様々な経験を積み、僕の世界が広がりました。その人たちから離れることになるのは非常に寂しいですが、僕の中でその人たちの存在はずっと生き続けますし、そして何よりも心から感謝しております。
男布谷、30歳にして大胆な決断だとは十二分に承知ですが、どうぞこれからも引き続き応援をよろしくお願いいたします。
そして、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
布谷史人
Sunday, October 18, 2009
リベルタンゴ国際コンクール

またまたいつもの事ですが、ご無沙汰しており失礼いたしました。
この10月1日から来年2月中旬までの半年間、ドイツにあるデトモルト音楽院でマリンバの客員教授として指導にあたらせてもらっております。実はボストン音楽院を卒業後直ぐ、音楽のメッカとも言えるドイツに行ってもっと勉強したかったのですが色々な理由で実現できなかったので、こういう形でドイツに滞在させてもらえることに喜びを感じながら、一日一日を大事に過ごしてます。
そしてTeachingが始まって一週間後、昨年から気になっており、今回ドイツに滞在することが決まってから申し込んだ、イタリアでのリベルタンゴ国際コンクールに参加してきました。
このコンクールはファイナルラウンドまでアストル・ピアソラの音楽を演奏することが課題で、ピアソラ一色のコンクール。ピアソラの音楽にはまっている僕にとっては、よだれの出るようなコンクールです。当初、ソリスト部門ではピアノ・チェロ・バイオリン・バンドネオン・アコーディオン・サックスと、ピアソラの音楽がよく演奏される楽器を対象に参加を募集しておりました。でも、イタリアのコンクールであること、そしてピアソラの音楽を演奏することが課題なのでピアソラのレパートリーがある僕でも参加できるのでは、と思い、コンクール事務所に問い合わせ、参加させてもらえることになったのです。
コンクールは、ランチアーノというローマからバスで3時間の小さな田舎町で行われたため、前もって楽器の到着に不安を感じていたものの、案の定本番直前まで楽器の到着にやきもきするところもありましたが、素晴らしい伴奏者との出会いで、演奏も1次・2次・ファイナルと無事に終え、そして非常に光栄なことにソリスト部門で1位という、自分ではまったく予想もしなかった賞を頂くことができました。
(楽器の手配に協力して下さったこおろぎ社の多大なご支援には、感謝してもしてもし足りません・・・)
ピアソラの音楽は、タンゴの音楽に、クラシックやジャズ、そしてロックと様々な音楽を融合されてあり、様々な音楽のジャンルを組み合わせているからなのか、彼の音楽には人間の抱く様々な感情を感じさせる力があります。大学卒業後にマリンバ奏者・音楽家として道を見失いそうになったとき、偶然彼の音楽を耳にし、心が洗われ、そして救われました。
ただ、様々な音楽の融合であるピアソラの音楽の演奏方法に、クラシック音楽家として勉強してきた僕は色々と悩むこともありましたが、師匠のレッスンで教わった音楽の真髄である「心/感情」・「魂」を持ち続けて演奏してきてましたし、今回のコンクールの受賞は、自分の中であった様々な迷いに光を射してくれ、今後も彼の音楽を演奏していきなさい、と背中を押してもらえた気がします。
またまた、ピアソラの音楽に力を頂きました。感謝です。
今回のコンクールでも、色々な国のピアソラ愛好者と出会うことが出来ましたし、審査員の方々とも今後のお話など色々とすることが出来、とても充実したイタリアの旅となりました。
今回はまったくいい写真が撮れなかったのですが、町の写真と劇場の写真、そして本番の演奏の写真を載せました。
Monday, July 06, 2009
栄養たっぷり
またまた更新をサボりました。すみません。
一週間ほど前に、アメリカに戻ってきました。実は今回の日本への旅の前日(というかフライト時間の数時間前まで)近所への引越し作業をしてました。その引越しに関して色々あり、急に決まったものだっので自分の荷物を動かすので精一杯で、今回アメリカに戻ってきてから家にこもり、時差ボケと戦いながらここ1週間ほどは荷物整理をしてました。8年間近くアメリカにいるからか、僕が整理できない人間なのか、思い切りが出来ない人間なのか、俺はとにかく物が多い・・・
と、アメリカに帰ってきてからは、荷物整理を理由にマリンバをお休みです。(明日から再開を考えてはいます。)
今回の日本滞在は、3月中旬から6月下旬までのほぼ3ヵ月半の滞在でした。こんなに長く滞在できたのは、僕がアメリカに来てからは初めてのことで、「友達と一緒に温泉に行こう」「飲み会しよう」と約束してたり(ごめんよ、友人。)、甥や姪とたっぷり遊ぼうとか、親とゆっくりとした時間を過ごしてみよう、とか一人で盛り上がっていました。でも結局全部没。。。
しかしながら、今回の滞在はとても充実してました。というか、充実感を味わわせていただきました。
「出会い」のお陰です。とにかく沢山の素晴らしい出会いがありました。
以前僕がスランプに陥りそうでアメリカの先生に相談したとき、「音楽家は演奏をすることで常に人(聴衆)に与え続けているのだから、休むときはしっかり休んで、自分の心と体に栄養を与えなさい。」と教えられました。自分の体はゆっくり休んでしっかり食べれば元気になるけど、その「心」の栄養が自分にとっては何か、ここ何年かずっと考え、色々と試してきました。自然鑑賞、好きな音楽を聴きながら夜中のドライブ、買い物、お酒、美味しいものの食べ歩き、アイスクリーム、もちろんNew Yorkの吉野家もです。どれも全部自分の栄養になっていたとは思うのですが、今回の日本滞在で出会った人から、自分の心に今まで感じ取れなかったかなりの栄養を注いでもらった、と感じました。
世界的に活躍されている著名な音楽家ほどの活躍ぶりではありませんが(各地を飛び回るほどではないって言ったほうがいいのかな)、今回の日本滞在で沢山演奏やクリニックをさせていただき、自分の持っているすべてを一回一回すべて出し切るような気持ちで臨みました。大昔はその一回が終わると、完全燃焼でしばらく練習すら出来なかったり、最近までは演奏会が続くと体も心もエネルギーが減っていっていた自分ですが(こんな事、暴露しちゃっていいのでしょうか・・・)、年を重ねて経験したからか、いや恐らく皆さんからのいいエネルギーが自分をそうさせたのだと思いますが、とにかく全部の演奏会で常に自分を出し切る用意が出来ていたし、一回一回出し切りました。
アメリカは不景気でかなり騒いでますが、日本の不景気はアメリカの不景気よりも長く、そして深刻だと思います。そんな不景気の日本で沢山の苦労を重ね、強く、前向きに、楽しく生活している方々だからこそ、体の中からエネルギーが沸き(エネルギーがあるから強く前向きに??逆かなあ)、そして僕のようなものにまでそのエネルギーを分けていただけたのだと思います。
僕も見習わなくてはいけませんね。
短い締めになりますが、とにかく今回の日本滞在で出会ったすべての人に感謝しております。ありがとうございました。
(写真は後日・・・)
一週間ほど前に、アメリカに戻ってきました。実は今回の日本への旅の前日(というかフライト時間の数時間前まで)近所への引越し作業をしてました。その引越しに関して色々あり、急に決まったものだっので自分の荷物を動かすので精一杯で、今回アメリカに戻ってきてから家にこもり、時差ボケと戦いながらここ1週間ほどは荷物整理をしてました。8年間近くアメリカにいるからか、僕が整理できない人間なのか、思い切りが出来ない人間なのか、俺はとにかく物が多い・・・
と、アメリカに帰ってきてからは、荷物整理を理由にマリンバをお休みです。(明日から再開を考えてはいます。)
今回の日本滞在は、3月中旬から6月下旬までのほぼ3ヵ月半の滞在でした。こんなに長く滞在できたのは、僕がアメリカに来てからは初めてのことで、「友達と一緒に温泉に行こう」「飲み会しよう」と約束してたり(ごめんよ、友人。)、甥や姪とたっぷり遊ぼうとか、親とゆっくりとした時間を過ごしてみよう、とか一人で盛り上がっていました。でも結局全部没。。。
しかしながら、今回の滞在はとても充実してました。というか、充実感を味わわせていただきました。
「出会い」のお陰です。とにかく沢山の素晴らしい出会いがありました。
以前僕がスランプに陥りそうでアメリカの先生に相談したとき、「音楽家は演奏をすることで常に人(聴衆)に与え続けているのだから、休むときはしっかり休んで、自分の心と体に栄養を与えなさい。」と教えられました。自分の体はゆっくり休んでしっかり食べれば元気になるけど、その「心」の栄養が自分にとっては何か、ここ何年かずっと考え、色々と試してきました。自然鑑賞、好きな音楽を聴きながら夜中のドライブ、買い物、お酒、美味しいものの食べ歩き、アイスクリーム、もちろんNew Yorkの吉野家もです。どれも全部自分の栄養になっていたとは思うのですが、今回の日本滞在で出会った人から、自分の心に今まで感じ取れなかったかなりの栄養を注いでもらった、と感じました。
世界的に活躍されている著名な音楽家ほどの活躍ぶりではありませんが(各地を飛び回るほどではないって言ったほうがいいのかな)、今回の日本滞在で沢山演奏やクリニックをさせていただき、自分の持っているすべてを一回一回すべて出し切るような気持ちで臨みました。大昔はその一回が終わると、完全燃焼でしばらく練習すら出来なかったり、最近までは演奏会が続くと体も心もエネルギーが減っていっていた自分ですが(こんな事、暴露しちゃっていいのでしょうか・・・)、年を重ねて経験したからか、いや恐らく皆さんからのいいエネルギーが自分をそうさせたのだと思いますが、とにかく全部の演奏会で常に自分を出し切る用意が出来ていたし、一回一回出し切りました。
アメリカは不景気でかなり騒いでますが、日本の不景気はアメリカの不景気よりも長く、そして深刻だと思います。そんな不景気の日本で沢山の苦労を重ね、強く、前向きに、楽しく生活している方々だからこそ、体の中からエネルギーが沸き(エネルギーがあるから強く前向きに??逆かなあ)、そして僕のようなものにまでそのエネルギーを分けていただけたのだと思います。
僕も見習わなくてはいけませんね。
短い締めになりますが、とにかく今回の日本滞在で出会ったすべての人に感謝しております。ありがとうございました。
(写真は後日・・・)
Monday, May 11, 2009
2009年1月・2月
皆様、どうもご無沙汰しております。5月9日に母校の大館高校吹奏楽部と共演をしたのですが、その演奏会後に部員の一人に「布谷さん、ブログ更新してください。」と言われてしまい、更新の決意をしました。ブログでお伝えしたい事は山ほどあって、しかもそのための写真も用意してあるのですが、中々パソコンに向かってゆっくりブログ更新という気にならないんですよね。俺、夏休みとか冬休みの宿題を、休みが終わる2,3日前からはじめるようなやつだったんですが、こういう所に出ますね。恥ずかしい・・・
折角こういうページがあって、観てくださっている方がいるのに、失礼いたしました。
去年の12月振りですので、俺の活動内容の報告させてください。
1月下旬にMagic Marimba Festival(魔法のマリンバ・フェスティバルって、俺に似合ってかわいい名前でしょう?)に行ってきました。率直な感想は、暑かった・・・。っていうか、真夏日並みです。1月のボストンの気温は0度。1月のフロリダの温度は25度以上。週末だったこともあって、帰りの飛行機はバカンスで遊びに来ている人でにぎわってました。この温度じゃあ、北の人はそういう気分になるよね。俺も、ビーチでピーナカラーダ片手に、夕日を眺めたかったなあ。
写真は本フェスティバルのホストしている大学、University of Southern Floridaの教授Robert McCormick先生とその生徒さんです。この大学にお邪魔するのは2回目なんですが、先生もいい人だし、それに伴ってなのか生徒もみんないい人ばかりです。天気もずっとよかったし、ここの地にいると人間変われそうです。
さあ、2枚目3枚目のお写真は、1月下旬にボストンのラジオ局WGBHであった朝のクラシックのショーの前の、サウンドチェックの様子です。この一枚目の写真はサウンドチェックのはじめのころ。

そしてこれが、後の写真です。マリンバとピアノの間に壁を作っている様子です。これには俺、マジびっくりでした。最初はピアノのマイクにマリンバの音がかなり大きく入ってしまうとの事で、マリンバをどんどんピアノから離し、それでも駄目ということで、壁の一段目を築き上げ、それでも駄目ということで2段目の壁を立てている所です。
結局は壁が邪魔でピアノ奏者と目でコンタクトを取るのがやっと。大変だったけどリスナーにいい音で聴いてもらうためならやるしかない、ということでこれで本番を迎えました。
今回のこのライブの演奏が、ニューイングランド地方はもとより、インターネットを介して世界のクラシックファンに発信しているということもあり、かなり緊張していたのですが、それより何より緊張していたのが今回のショーの司会Cathy Fullerさんとの会話。
もちろん英語ですよね。しかも、結構高度な会話。
時間はあまりなかったのですが、出来る限り曲のこと、作曲家のことを勉強しました。でもいざ本番となると駄目でしたね。。。相当緊張してしまい、「My name is Fumito. I like orange. I am Japanese. Thank you.」状態。ひどいというか、穴があったら2,3日入りたかった。。。ショーでの演奏も反省すべき点は多々あったんですが、それよりなにより自分の英語力にかなり落ち込みました。
若い衆の皆さん、英語は若いうちにやっておいたほうが絶対いいですよ。
実は俺、この司会者のファンでこのラジオショーをよく聴いていて、「自分もいつかソロで出演できたらいいなあ。」と密か思っていたんですが、こんなに早く夢が叶うとは思ってもいなかったので、今考えるとこの番組に出演した自分は褒めてあげないと、と思います。この次があるのであれば、もっと英語頑張ります。
この写真は2月上旬に、カリフォルニア州であったSouthern California Percussion Ensemble Festivalでの、俺のマスタークラスの様子です。クラスに登録してくれた人数は75人。主催者の方にも、「史人はこっちでも有名人ですよ。」だって。嘘おっしゃい、って突っ込みましたが。このマスタークラスへの参加人数は、主催者の働きかけのお陰の賜物です。
今回のカリフォルニアへの旅、実は人生で始めてのアメリカ西海岸の旅だったんです。色んな人から、「カリフォルニアの人はフレンドリーで、食べ物も美味しいし、天気はいい」って聞いていたんですが、ホントその通り!と言いたいところだったんですが、最初の2つは本当だったけど、最後の1つはまったくの嘘。俺が滞在していた5日間すべて雨。俺の生徒に、「雨男」って言ってたことあるんですが、さすがに今回は反省しました。
このフェスティバル、主催者はもちろんのこと(なんと25歳の日本人の若者)、そしてその主催者をサポートしている先生方やボランティアの人すべてがいい人で、生徒さんももちろんいい人。アメリカのいい人集まれフェスティバル、って感じで、とにかく最初から最後まで温かいフェスティバルでした。フェスティバルのメインとなっている、高校生の打楽器アンサンブルクラブ(アメリカには結構あるみたいなんです。)の皆の演奏で感動し、涙を流し、色んな人との交流もでき、自分の心はまさに癒されまくり。そんな人達の前で演奏が出来るというのは本当に幸せで、自分の体はボストンとカリフォルニアにある3時間の時差による時差ぼけで最高に疲れてたんですが、精一杯の気持ちを込めて演奏させていただきました。お客さんは盛り上げ上手で、演奏してて楽しかったです。
ボストンにいると、アジア人ということでちょっと浮いた感というか、アメリカはやっぱり白人の国だよなあ、って感じるんですが、カリフォルニアにはアジア人人口が多く、今回のフェスティバルでもアジア人が半分、その中に日本語があまり話せない日本人もいたりして、あれここアメリカだっけ?って思う場面が何度もありました。でも、そこに何か心地よさを感じていたのも事実です。
今回の旅は、かなり思い出に残る旅でしたが、まったくプライベートの時間がなかったので、次回はしっかり観光もしたいと思ってます。
と言う感じで、また近いうちに3月・4月・5月の活動報告いたしますので、また覗いてやってくださいね。
Monday, December 22, 2008
Student Concerts

どうも、またまたご無沙汰しておりました。ボストンはここ3日間の雪で、大変なことになっていました。雪国出身の僕はこういう雪にも一切めげず、夏タイヤで楽器を運んだり、買い物であちこち行ったりし、ここぞとばかりに自分の運転スキルを披露してました。(実は一度だけ、曲がり角を曲がりきれず、雪に少々突っ込みましたが。。。)
昨日、というかもう一昨日になりますが、僕の今教えている、もしくは教えていた生徒によるマリンバの発表会を開きました。個人でマリンバを教えるようになってから2,3年経つのですが、実は生徒の発表会をしたのが今回が初めてだったんです。しかも、自分の日程と生徒の日程がうまく噛みあわなく、コンサートの期日を決めたのも一ヶ月少々前と急で、本当にわずかな時間での準備でした。それにも関わらず、発表会に参加してくれた生徒達は、この日を目標に与えられていた曲を見事に仕上げ、コンサート当日では素晴らしい演奏を披露してくれました。この生徒の頑張りには驚きましたし、何より感謝してます。
生徒一人ひとりの演奏を発表会という形で見るのがはじめてだったので、演奏を見ながら一人ひとりの特徴、素晴らしいところ、これからの課題を改めて認識できた、僕にとっては大変いい機会で勉強になりました。生徒のご両親・友人や、生徒自身にとっても色々なスタイルの演奏が見れたことはプラスになったと思うし、コンサート後のみんなの嬉しそうな様子を見ながら、強行突破で生徒や親には大変な思いをさせたと思うけど「終わりよければすべてよし」で、僕の強引な演奏会開催は成功だったのかなと、胸をなでおろしてます。
生徒を持つようになって、長い間その生徒と一緒に勉強していき、その生徒が長い時間をかけて作り上げた音楽を今回のコンサートで演奏してくれたとき、何かくすぐったい感覚と嬉しさ、そして子供の巣立ちを見てるような感覚が混ざって、心地いい気持ちの複雑さでした。その演奏には、僕が若かりし頃に抱いていた音楽に対しての「夢」がふんだんに含まれていたし、エネルギーを沢山もらいました。
僕の師匠が「生徒を持つことで生徒とともに人間的に成長していくし、それに伴って自分の音楽も成長していく」と言っていたことの意味が、少し分かってきた気がします。
来年のコンサートも、今から非常に楽しみです。日本語の読めない生徒がほとんどですが、この場を借りて「お疲れ様でした!!」
Monday, October 06, 2008
恐る恐る
Sunday, May 11, 2008
愛知県
5カ月振りの更新です。もうだれもこのページ見なくなってますかね。今朝方の4時なんですが、また細々と再開したく、書かせて頂きます。
9日から中部打楽器フェスティバルのために愛知県名古屋市に入ってました。今回の旅の、すべての人との出会いは僕に力とやる気を与えてくれました。
こんなに暖かい人に触れたのは本当に久し振りです。暖かい人に触れ、深いところまでお話したり、その方の寛大な人柄を感じ取ることが出来ると、心に元気が戻り、またいい演奏をしようと努力する気になるんですが、まさに今回はそれを強烈に感じました。フェスティバルもそんな人の集まりの元で行われていたので、本当に暖かい、素晴らしいものだったと思います。
そんなところに、僕なんかがゲストとして呼ばれ、本当に感謝しております。
最後までスペシャルな名古屋滞在でした。
この後は、今度の週末にある、真島先生のマリンバ協奏曲の秋田県新屋高等学校さんとの再演に向けて頑張ります。実は5日の日に3楽章だけ共演したんですが、新屋高校はうまいです。そんな名演奏をバックにやらせてもらえるんだから、明日から引きこもり練習の始まりです。
9日から中部打楽器フェスティバルのために愛知県名古屋市に入ってました。今回の旅の、すべての人との出会いは僕に力とやる気を与えてくれました。
こんなに暖かい人に触れたのは本当に久し振りです。暖かい人に触れ、深いところまでお話したり、その方の寛大な人柄を感じ取ることが出来ると、心に元気が戻り、またいい演奏をしようと努力する気になるんですが、まさに今回はそれを強烈に感じました。フェスティバルもそんな人の集まりの元で行われていたので、本当に暖かい、素晴らしいものだったと思います。
そんなところに、僕なんかがゲストとして呼ばれ、本当に感謝しております。
最後までスペシャルな名古屋滞在でした。
この後は、今度の週末にある、真島先生のマリンバ協奏曲の秋田県新屋高等学校さんとの再演に向けて頑張ります。実は5日の日に3楽章だけ共演したんですが、新屋高校はうまいです。そんな名演奏をバックにやらせてもらえるんだから、明日から引きこもり練習の始まりです。
Sunday, December 30, 2007
出会い
またいつものように長い間更新をしていませんでした。いつもブログの始まりが謝罪なので、ブログを見てくださってる皆さんも、もうそろそろ更新をしない自分に慣れてきてますよね。
さあ、開き直って。
今年ももう残すところあと2日ですね。今年も本当に色々なことがありました。
何よりも、「出会い」の多かった一年だったと思います。出会いは新しいところに行ったり、新しいことをしだすと、常にどこにでもあるものですが、その出会いというのは必ずしもすべてが心の奥底に入りこんでいくものではありません。ですが、今年の出会いは特に心に残るものばかりで、その人と交わした会話や、ときにはその人の人柄まで鮮明に覚えています。そんな人の出会いで、今年は自分をもっと人間らしく、そして成長するきっかけを与えてくれました。
その中から11月の日本での出会いをちょっと取り上げますね。
身内ごとですが、今年の11月に家の兄が結婚しました。我が家初の結婚式準備で、両親・兄はそうとうアワアワ・カリカリしていたんじゃないでしょうかね。(こういう時に、アメリカに住んでて良かったなあって思うのは、親不孝ものだからですかね。)そんな両親・兄が結構色々なことで神経を使った甲斐があり、身内の俺が言うのもなんですがその結婚式は素敵なものになっていました。何よりも、兄の奥さんになる方(っていうか俺の姉さんって言うんですよね)、凄い綺麗な人なんです。ドレスで登場したときなんか、俺興奮。「兄さんも、結構やるなあ」って思いましたね。
話は本題に。。。
そこで出会った兄の会社の社長。この方の人柄というか、存在感には本当に驚きました。社長と言うと、友達なんかの話を聞いてて自分の中ではステレオタイプが出来上がっているのですが、この方は見事にその型を破ってくださりました。今の世の中、会社の話で人からいい話を聞くことってあんまり無いのですが、この方は会社を愛し、仕事を生きがいとし、自分の立場に責任を感じながら、部下とはきちんとした人間関係を築きあげていっており、家の兄は本当に幸せ者だなと、そして安心感すら覚えました。こんな社長がいる会社に兄がいることに、ちょっと誇りさえ感じた時でしたね。(って、言いすぎでした。)
そして結婚式の2次会では、普段会うことのない兄と姉さん(って呼ぶの、まだ慣れないです)の友達と飲みました。これがまた楽しいかったぁ。久しぶりに会った俺の弟も参加し、姉さんの友達とは何だか気があって、3次会でかなりワイワイ騒ぎました。一年に一回だけ、僕は凄い飲むんですが(量、半端でないです)、それがその時でしたね。一年分飲みました。
そしてアメリカに帰る前々日には、地元で秋田県吹奏楽連盟の役員の方々、県内の吹奏楽部顧問の先生方の集まりがあり、そこでとある方(フルートのMさんとでもしておきますか。)と指揮のS先生お力で、その集まりで演奏させていただくことになったんです。
とにかくマリンバという楽器は知名度も低ですし、実際に演奏を聞かないと分かってもらえない楽器なんです。そんな訳で、このフルートのMさんのお力・行動力というのには、この上なく感謝しております。ありがとうございます。
という訳で、僕の名前は新聞やテレビで観ましたというような先生が初めて生で僕の演奏を見てくださることになり、その演奏のための準備は素晴らしいといえるほど出来ませんでしたが、一生懸命演奏しました。結構無我夢中で演奏しましたね。だって、考えてみたら会場の全員が音楽家なんですもん。何かオーディション会場にいるような気さえもしました。
その演奏後の反響には、これまた涙もの。。。音楽やってて良かったなあって思えるようなコメントを、吹奏楽コンクールの全国大会常連校の先生からいただいたり、共演のお話をいただいたりと、一気に疲れきっていた心のエネルギーは、満たされた気がしました。
まだまだ書きたいものがたくさんあったのですが、全部書いたらこのブログのページが全部埋まってしまいそうなのでこの辺で11月のは終わりにしますね。
それで年末の極め付けがあるんです。
話はさかのぼること、2006年の6月に日本行きの飛行機で出会った叔母様の話。あの叔母様に、「東京での演奏会があったら、お知らせくださいね」ということで、今年の9月にあった東京でのコンサートのお知らせを出したんです。そしたらその演奏会に、演奏会のチケットの何倍はするだろうチョーでかいゴディバの贈り物を持って来ていただいたんです。僕の演奏後にすぐに帰ってしまったということで、次の日に演奏会の感想を電話で頂き、まずそこでウルウル。そのウルウルを、お礼を兼ねてアメリカから手紙でお伝えしなければと思っていたのに、忙しさにかまけて早一ヶ月ちょいが過ぎた昨日、また年末のご挨拶のお手紙ということでその方から葉書が届いていたんです。あの手紙をいただいた瞬間は嬉しくてしょうがなかったんですが、2,3分して冷静になって考えて、今度は自分の筆不精振りに頭にきましたね。しかもかなり。。。頭に来すぎて、しょげちゃいました。山から谷に落ちる感じですね。
その手紙を読んで、これまたウルウルし、心にエネルギーが注がれました。今度こそ、手紙書きます。
来年の抱負は、「筆まめになる」です。って、筆不精を何年もやっている俺が何言っているんだろう、って思う人、このブログを読んでくださっている人の中にいるはず。。。テストで0点の人が、次は100点取るって言ってるのと同じですもん。
しかも、「筆まめ」を漢字で書くと「筆忠実」。漢字で書くと何か重い言葉だなあ。。。
とにかく、頑張りまーーーす。
それでは、良い新年をお迎えくださいませ。そして来年も布谷史人の応援、今後もよろしくお願いします。
さあ、開き直って。
今年ももう残すところあと2日ですね。今年も本当に色々なことがありました。
何よりも、「出会い」の多かった一年だったと思います。出会いは新しいところに行ったり、新しいことをしだすと、常にどこにでもあるものですが、その出会いというのは必ずしもすべてが心の奥底に入りこんでいくものではありません。ですが、今年の出会いは特に心に残るものばかりで、その人と交わした会話や、ときにはその人の人柄まで鮮明に覚えています。そんな人の出会いで、今年は自分をもっと人間らしく、そして成長するきっかけを与えてくれました。
その中から11月の日本での出会いをちょっと取り上げますね。
身内ごとですが、今年の11月に家の兄が結婚しました。我が家初の結婚式準備で、両親・兄はそうとうアワアワ・カリカリしていたんじゃないでしょうかね。(こういう時に、アメリカに住んでて良かったなあって思うのは、親不孝ものだからですかね。)そんな両親・兄が結構色々なことで神経を使った甲斐があり、身内の俺が言うのもなんですがその結婚式は素敵なものになっていました。何よりも、兄の奥さんになる方(っていうか俺の姉さんって言うんですよね)、凄い綺麗な人なんです。ドレスで登場したときなんか、俺興奮。「兄さんも、結構やるなあ」って思いましたね。
話は本題に。。。
そこで出会った兄の会社の社長。この方の人柄というか、存在感には本当に驚きました。社長と言うと、友達なんかの話を聞いてて自分の中ではステレオタイプが出来上がっているのですが、この方は見事にその型を破ってくださりました。今の世の中、会社の話で人からいい話を聞くことってあんまり無いのですが、この方は会社を愛し、仕事を生きがいとし、自分の立場に責任を感じながら、部下とはきちんとした人間関係を築きあげていっており、家の兄は本当に幸せ者だなと、そして安心感すら覚えました。こんな社長がいる会社に兄がいることに、ちょっと誇りさえ感じた時でしたね。(って、言いすぎでした。)
そして結婚式の2次会では、普段会うことのない兄と姉さん(って呼ぶの、まだ慣れないです)の友達と飲みました。これがまた楽しいかったぁ。久しぶりに会った俺の弟も参加し、姉さんの友達とは何だか気があって、3次会でかなりワイワイ騒ぎました。一年に一回だけ、僕は凄い飲むんですが(量、半端でないです)、それがその時でしたね。一年分飲みました。
そしてアメリカに帰る前々日には、地元で秋田県吹奏楽連盟の役員の方々、県内の吹奏楽部顧問の先生方の集まりがあり、そこでとある方(フルートのMさんとでもしておきますか。)と指揮のS先生お力で、その集まりで演奏させていただくことになったんです。
とにかくマリンバという楽器は知名度も低ですし、実際に演奏を聞かないと分かってもらえない楽器なんです。そんな訳で、このフルートのMさんのお力・行動力というのには、この上なく感謝しております。ありがとうございます。
という訳で、僕の名前は新聞やテレビで観ましたというような先生が初めて生で僕の演奏を見てくださることになり、その演奏のための準備は素晴らしいといえるほど出来ませんでしたが、一生懸命演奏しました。結構無我夢中で演奏しましたね。だって、考えてみたら会場の全員が音楽家なんですもん。何かオーディション会場にいるような気さえもしました。
その演奏後の反響には、これまた涙もの。。。音楽やってて良かったなあって思えるようなコメントを、吹奏楽コンクールの全国大会常連校の先生からいただいたり、共演のお話をいただいたりと、一気に疲れきっていた心のエネルギーは、満たされた気がしました。
まだまだ書きたいものがたくさんあったのですが、全部書いたらこのブログのページが全部埋まってしまいそうなのでこの辺で11月のは終わりにしますね。
それで年末の極め付けがあるんです。
話はさかのぼること、2006年の6月に日本行きの飛行機で出会った叔母様の話。あの叔母様に、「東京での演奏会があったら、お知らせくださいね」ということで、今年の9月にあった東京でのコンサートのお知らせを出したんです。そしたらその演奏会に、演奏会のチケットの何倍はするだろうチョーでかいゴディバの贈り物を持って来ていただいたんです。僕の演奏後にすぐに帰ってしまったということで、次の日に演奏会の感想を電話で頂き、まずそこでウルウル。そのウルウルを、お礼を兼ねてアメリカから手紙でお伝えしなければと思っていたのに、忙しさにかまけて早一ヶ月ちょいが過ぎた昨日、また年末のご挨拶のお手紙ということでその方から葉書が届いていたんです。あの手紙をいただいた瞬間は嬉しくてしょうがなかったんですが、2,3分して冷静になって考えて、今度は自分の筆不精振りに頭にきましたね。しかもかなり。。。頭に来すぎて、しょげちゃいました。山から谷に落ちる感じですね。
その手紙を読んで、これまたウルウルし、心にエネルギーが注がれました。今度こそ、手紙書きます。
来年の抱負は、「筆まめになる」です。って、筆不精を何年もやっている俺が何言っているんだろう、って思う人、このブログを読んでくださっている人の中にいるはず。。。テストで0点の人が、次は100点取るって言ってるのと同じですもん。
しかも、「筆まめ」を漢字で書くと「筆忠実」。漢字で書くと何か重い言葉だなあ。。。
とにかく、頑張りまーーーす。
それでは、良い新年をお迎えくださいませ。そして来年も布谷史人の応援、今後もよろしくお願いします。
Saturday, October 20, 2007
テレビ(自分の宣伝?)
やっぱり俺です。更新を3週間ほど怠ってました。すみません。
無事にボストンに戻ってきて早3週間(っていうか、時の経つのは本当に早い。。。)、ようやく日本の忙しさが疲れとなって出てきてます。ありがたいことになんだかんだ色々と立て込んでたのですが、今週末はようやくゆっくり出来そうです。ボストン近郊は紅葉もいよいよ山場なので、天気もいいことだし、出かけようかなー。
9月23日に秋田県大館市の地元でしたコンサートの関係で、今回は3つのテレビに出演することになってました。そのうちの一つは、コンサート前にABS放送の生番組に出演させていただくもので、9月18日に無事に終わりました。(事後報告してどうするっていう話ですよね。)
そして、その他の2つはこれから放送、もしくは放送中なんです。
まずはAKT秋田テレビさんですが、10月22日(月)の21時54分から22時00分まで「探せ秋田の元気人」というコーナーで放送されます。自分で編曲した「赤とんぼ」を、収録の際に全部演奏したのですがどんな風に編集されているか、どんな風に自分の話していたことが編集されて放送のVTRが作られてるのかとか興味津々で、俺も楽しみです。
番組の内容等は、下記のリンクでもお調べいただけます。
http://www.akt.co.jp/tv/genki/index.html
(このサイトに載っている自分の写真、演奏会前だったのでちょっとこけてて、散髪後だったので髪がちょっと薄めに写ってますが、今は大丈夫です。。。)
そして次は大館ケーブルテレビさん。大館に開局したケーブルテレビさんということもあり、今回の演奏会では多大なご協力を頂き、さらには演奏会を元にして、1時間20分ほどの番組まで作っていただきました。今回のコンサートで初演した、マリンバ協奏曲2曲も放送されているとのことでした。素晴らしい番組だと好評でしたので、大館ケーブルテレビさんとの契約をされている方はもちろん、これから持とうと考えている方は是非契約されて観て頂きたいと思います。放送は10月16日から31日まで、一日に3回放送されております。
番組案内は下記のリンクでご覧になれます。
http://www.odate.ne.jp/
11月はまた日本なので、録画したものを観るのが楽しみです。
っていうか、9月の日本滞在はやり残したことが多すぎるので、今度こそは自分のためにもっと時間を使わせてもらいます。やり残したことの代表・1.松屋に行く 2.吉野家に行く 3.松屋と吉野家を食べ比べてみる 4. 近所の温泉に頻繁に行く 5.友達に会う 6.親、親戚とも団欒する 7.ローソンに売ってるオカキを何ヶ月か分アメリカに持ってくる などです。)
何の話してるんだろう俺。そろそろ2時だからだ。。。寝ます。
無事にボストンに戻ってきて早3週間(っていうか、時の経つのは本当に早い。。。)、ようやく日本の忙しさが疲れとなって出てきてます。ありがたいことになんだかんだ色々と立て込んでたのですが、今週末はようやくゆっくり出来そうです。ボストン近郊は紅葉もいよいよ山場なので、天気もいいことだし、出かけようかなー。
9月23日に秋田県大館市の地元でしたコンサートの関係で、今回は3つのテレビに出演することになってました。そのうちの一つは、コンサート前にABS放送の生番組に出演させていただくもので、9月18日に無事に終わりました。(事後報告してどうするっていう話ですよね。)
そして、その他の2つはこれから放送、もしくは放送中なんです。
まずはAKT秋田テレビさんですが、10月22日(月)の21時54分から22時00分まで「探せ秋田の元気人」というコーナーで放送されます。自分で編曲した「赤とんぼ」を、収録の際に全部演奏したのですがどんな風に編集されているか、どんな風に自分の話していたことが編集されて放送のVTRが作られてるのかとか興味津々で、俺も楽しみです。
番組の内容等は、下記のリンクでもお調べいただけます。
http://www.akt.co.jp/tv/genki/index.html
(このサイトに載っている自分の写真、演奏会前だったのでちょっとこけてて、散髪後だったので髪がちょっと薄めに写ってますが、今は大丈夫です。。。)
そして次は大館ケーブルテレビさん。大館に開局したケーブルテレビさんということもあり、今回の演奏会では多大なご協力を頂き、さらには演奏会を元にして、1時間20分ほどの番組まで作っていただきました。今回のコンサートで初演した、マリンバ協奏曲2曲も放送されているとのことでした。素晴らしい番組だと好評でしたので、大館ケーブルテレビさんとの契約をされている方はもちろん、これから持とうと考えている方は是非契約されて観て頂きたいと思います。放送は10月16日から31日まで、一日に3回放送されております。
番組案内は下記のリンクでご覧になれます。
http://www.odate.ne.jp/
11月はまた日本なので、録画したものを観るのが楽しみです。
っていうか、9月の日本滞在はやり残したことが多すぎるので、今度こそは自分のためにもっと時間を使わせてもらいます。やり残したことの代表・1.松屋に行く 2.吉野家に行く 3.松屋と吉野家を食べ比べてみる 4. 近所の温泉に頻繁に行く 5.友達に会う 6.親、親戚とも団欒する 7.ローソンに売ってるオカキを何ヶ月か分アメリカに持ってくる などです。)
何の話してるんだろう俺。そろそろ2時だからだ。。。寝ます。
Monday, September 24, 2007
コンサート
23日のコンサートにお越しくださった皆様、そして共演してくださった大館吹奏楽団、大館ウインド・アンサンブル、大館ウインドのサックス5重奏、指揮者の齋藤博生先生、本コンサートのために、マリンバ協奏曲を作曲してくださった真島俊夫先生と、広瀬勇人さん、コンサートに多大なご協力くださった大館市民文化会館を初めとする皆様には、この場を借りてお礼申し上げます。皆さんのご協力の下で、何とか演奏会を成功させられました。
ちょうど稲刈りシーズンだったのと、日が良すぎたせいで、お客さんの入りを大分心配していた俺ですが、演奏会が始まってしまえばそんな心配もどっかに吹っ飛びました。久しぶりの大館公演、お客さんは本当に温かく僕を迎えてくれましたし、共演者の方のパワーもたくさん頂き、音楽やっててよかったなって思えた、至福のときでした。
大館の公演は、いつも特別な思いでさせてもらってますが、今回は舞台上でその思いがこみ上げちゃいましたね。やっぱり泣きながらの演奏は、無理でした。。。そこは、ご愛嬌ということで。
また写真等出来次第、またここにアップしますね。
でも、俺なんでかなり気長に待っててくださいね。
ちょうど稲刈りシーズンだったのと、日が良すぎたせいで、お客さんの入りを大分心配していた俺ですが、演奏会が始まってしまえばそんな心配もどっかに吹っ飛びました。久しぶりの大館公演、お客さんは本当に温かく僕を迎えてくれましたし、共演者の方のパワーもたくさん頂き、音楽やっててよかったなって思えた、至福のときでした。
大館の公演は、いつも特別な思いでさせてもらってますが、今回は舞台上でその思いがこみ上げちゃいましたね。やっぱり泣きながらの演奏は、無理でした。。。そこは、ご愛嬌ということで。
また写真等出来次第、またここにアップしますね。
でも、俺なんでかなり気長に待っててくださいね。
Thursday, September 20, 2007
いよいよ
9月23日のコンサートが迫ってきました。吹奏楽団の方々に、相当助けられながら、今日の俺がある感じです。楽団の皆さん、本当に感謝してます。
吹奏楽団との練習もいよいよ大詰めで、明日からはホールでの練習です。
明日も早いので、今日はこれくらいでご就寝です。
(というか、このアカウントにログインするだけで、1時間も費やしました。疲れちゃいました。。。)
コンサート、良かったら来てください。初演の協奏曲、凄くいい曲ですし、サックスアンサンブルとのアレンジも、サックスはいい感じです。後は俺次第ってとこですね・・・ある時間を有意義に使って、頑張りまーす。
吹奏楽団との練習もいよいよ大詰めで、明日からはホールでの練習です。
明日も早いので、今日はこれくらいでご就寝です。
(というか、このアカウントにログインするだけで、1時間も費やしました。疲れちゃいました。。。)
コンサート、良かったら来てください。初演の協奏曲、凄くいい曲ですし、サックスアンサンブルとのアレンジも、サックスはいい感じです。後は俺次第ってとこですね・・・ある時間を有意義に使って、頑張りまーす。
Friday, August 24, 2007
ピアニスト
大分前になるんですが(すみません、更新してなくて)、秋田出身で、なおかつ大館出身で、しかもなおかつ僕と同じ中学校出身の、田村由紀子さんという方から僕のホームページを通してメールが来たんです。ホームページを開設してからというもの、しばらく連絡を取り合っていなかった友人からメールが来たり、以前お会いしたことも無い世界各地の方からメールが来たりと、色々な人とコミュニケーションを取れる機会が増えたんですが、今回のメールにはそんな訳でちょっと驚きました。
メールをさらに読むと、その方はポーランドに留学されたことがあり、現在は青森県の弘前市を拠点に活動しているピアニスト・・・音楽家ではないですか。僕としては、共通点があって、というかありすぎて物凄く嬉しかったんです。
ホームページがあるそうなので、皆さんも是非覗いて見てください。
www.ruheproducts.com
地元出身で音楽活動をされている方は僕にとって刺激になりますし、何より嬉しいです。これからも応援して行きたいと思いますし、皆さんも応援、宜しくお願いします。
メールをさらに読むと、その方はポーランドに留学されたことがあり、現在は青森県の弘前市を拠点に活動しているピアニスト・・・音楽家ではないですか。僕としては、共通点があって、というかありすぎて物凄く嬉しかったんです。
ホームページがあるそうなので、皆さんも是非覗いて見てください。
www.ruheproducts.com
地元出身で音楽活動をされている方は僕にとって刺激になりますし、何より嬉しいです。これからも応援して行きたいと思いますし、皆さんも応援、宜しくお願いします。
Friday, July 06, 2007
引力

俺の気まぐれブログは、相変わらず気まぐれです。
ボストンは、雨が降って寒かったと思えば、晴れて暑くて蒸し暑かったり。日本ほどひどくは無いけど、軽く梅雨です。今日もまた暑い日になりそうだなあ。
俺の今住んでいるところは、ボストンから車で15分程はなれている住宅街のBelmontという町(村?)。大きくて高さのある建物に、何十部屋もあるようなボストンの住宅事情とはまったく違い、一家族や二家族が住めるような家々が森のようなものを挟んで建ってます。
ボストンのような都会(あれは田舎だって言う人もいるんですが。)、俺にはちょっと肌に合わなかったのか、ボストンに住んでいたころは色々なストレスからアトピー性皮膚炎に悩んでましたが、今の家に移ってからは大分それも良くなりました。やっぱり俺の肌にはボストンは合わなかったみたいです。
学校を卒業しての一番の悩みは、「マリンバの練習場所の確保」。まずそれを確保しないと喰っていけませんからねえ。色々とボストン近郊の家を見て、やっと見つけたのが今の家。家の大家さんは98歳のお婆さんで、耳もあんまり聞こえないとのこと。練習も好き勝手やってもらってもいいとのことで、大きな窓がついているお婆さんの寝室の真上にあたる2階のお部屋を借りることにしました。
その家に住んでから早1年近くが経つんですが、最近嬉しいことを発見しました。
マリンバを練習していると、家のベランダのそばに生えてある木に、必ず鳥が2,3羽飛んできて、マリンバの音に反応するように鳴くんです。晴れている日はほとんどといっていいほど必ず。マリンバの音には引力がある!
何回か、どんな鳥が鳴いているのかベランダに出てみようとしたんですが、そのベランダに出るための窓を開けるなり、鳥に逃げられ。。。それならばその鳥を窓を開けずに見てやろうと、その木の枝を窓越しに頑張って捜したら・・・赤い鳥が一羽。っていうか、鳥が赤い??(緑の中に赤で目立つから、見つけやすかったなあ。)
あんな鳥、今まで見たこと無かったなあ。スズメよりもちょっと大きめだけど、綺麗な赤色の鳥。何か縁起がいいなと思って、写真に撮ろうと窓を開けると、やっぱり逃げられる。その鳥ちゃんのおかげで、練習に対するモチベーションが上がってます。
この写真はその時に撮った、写真です。っていうか、ただの「木とご近所の家」の写真になっちゃったんですがね。
今日はちょっと心が温まる、お話でした。っと書き終わったところで、雨が降ってきた、と思ったら止んだ。。。
Saturday, June 16, 2007
6月
ボストンは、かなり蒸し暑くなったり、雨が凄く降って寒くなったりと気象の変化が激しい日々が続いています。アメリカでは梅雨が無いといわれているんですが、きっとこれは、ボストンの梅雨なんでしょうね。そういえば去年もこんな感じでした。
日本は、そろそろ梅雨入りでしょうかね。梅雨といえば、俺の地元大館は盆地のためにより湿度が凄く、持ち帰るのを忘れいたパンが、机の中でかびてたり(あの当時は?、ちょっと不潔でした。)、小学校のときに朝の会で配られた学年便りの印刷された紙(コピーで使う紙よりも紙質が悪い紙)が面白いくらいよれよれになって、鉛筆で落書きもうまく出来なくなった日々を思い出すなあ。梅雨の湿気って、とにかく凄いですよね。
梅雨の話はさておきまして、ありがたいことに、6月の前半はコンサートが3つと演奏の仕事が3つあり、「練習・編曲・練習」と久しぶりに音楽漬けの日々を送りました。「忙しい音楽家」らしい生活でしたね。
その3つのコンサートのうちの一つは、俺の現在住んでいる町の教会で行われた「子供のAIDSプログラム」のための基金集めをする、チャリティーコンサートでした。その教会の音楽監督で、コンサートを取りまとめていた方は、その方の旦那さんが作ったというチェンバロを教会に置いてあり、「そのコンサートで是非その楽器を使いたいの」ということで、コンサートはチェンバロが入った室内楽が主。俺もそんな訳でチェンバロと共演することに・・・でも後々よく考えると、チェンバロはバロック時代にピアノが発明される前に使われていたシンプルな鍵盤楽器で、音量もそんなに大きくないし、音色・強弱の変化がピアノよりも乏しい楽器。リハーサル前からとにかくマリンバとのバランス、そしてこの2つの組み合わせがどう解け合うのかが物凄く心配でした。マリンバとチェンバロいう楽器上、リサーサルをするのが2回だけだったのもその不安でしたね。
でもいざ一緒にやってみると、マリンバの素朴な感じとチェンバロの素朴な感じ、妙に合うんです。チェンバロでの音色・音量の変化のつけ方も思っていたよりも結構劇的で、バランスの作り方もそれほど難しくなく、コンサートでの演奏後はお客さんの拍手の嵐。お客さんにもそのマリンバ・チェンバロという組み合わせが奏でる、絶妙なハーモニーが響いたんでしょうね。自分も後で録音を聞いて、「これはいけるかも」と思いました。「もしいつか出世して、機会があればこの組み合わせでバロック時代の曲を演奏が入ったCDを作りたいな」なんて、そんな野望を持たせくれたコンサートでした。
ところで、この組み合わせ(マリンバとチェンバロ)で演奏した人って他にいるのかな。ちなみに俺は聞いたことがないんですが、もし誰もいないってことは俺達が初?そうだとしたら。それもなんか得した気分です。
と、ちょっと面白いことをしていた6月前半でした。みなさんも、良い6月をお過ごしください。(って、6月中にはまた更新しまーす。)
日本は、そろそろ梅雨入りでしょうかね。梅雨といえば、俺の地元大館は盆地のためにより湿度が凄く、持ち帰るのを忘れいたパンが、机の中でかびてたり(あの当時は?、ちょっと不潔でした。)、小学校のときに朝の会で配られた学年便りの印刷された紙(コピーで使う紙よりも紙質が悪い紙)が面白いくらいよれよれになって、鉛筆で落書きもうまく出来なくなった日々を思い出すなあ。梅雨の湿気って、とにかく凄いですよね。
梅雨の話はさておきまして、ありがたいことに、6月の前半はコンサートが3つと演奏の仕事が3つあり、「練習・編曲・練習」と久しぶりに音楽漬けの日々を送りました。「忙しい音楽家」らしい生活でしたね。
その3つのコンサートのうちの一つは、俺の現在住んでいる町の教会で行われた「子供のAIDSプログラム」のための基金集めをする、チャリティーコンサートでした。その教会の音楽監督で、コンサートを取りまとめていた方は、その方の旦那さんが作ったというチェンバロを教会に置いてあり、「そのコンサートで是非その楽器を使いたいの」ということで、コンサートはチェンバロが入った室内楽が主。俺もそんな訳でチェンバロと共演することに・・・でも後々よく考えると、チェンバロはバロック時代にピアノが発明される前に使われていたシンプルな鍵盤楽器で、音量もそんなに大きくないし、音色・強弱の変化がピアノよりも乏しい楽器。リハーサル前からとにかくマリンバとのバランス、そしてこの2つの組み合わせがどう解け合うのかが物凄く心配でした。マリンバとチェンバロいう楽器上、リサーサルをするのが2回だけだったのもその不安でしたね。
でもいざ一緒にやってみると、マリンバの素朴な感じとチェンバロの素朴な感じ、妙に合うんです。チェンバロでの音色・音量の変化のつけ方も思っていたよりも結構劇的で、バランスの作り方もそれほど難しくなく、コンサートでの演奏後はお客さんの拍手の嵐。お客さんにもそのマリンバ・チェンバロという組み合わせが奏でる、絶妙なハーモニーが響いたんでしょうね。自分も後で録音を聞いて、「これはいけるかも」と思いました。「もしいつか出世して、機会があればこの組み合わせでバロック時代の曲を演奏が入ったCDを作りたいな」なんて、そんな野望を持たせくれたコンサートでした。
ところで、この組み合わせ(マリンバとチェンバロ)で演奏した人って他にいるのかな。ちなみに俺は聞いたことがないんですが、もし誰もいないってことは俺達が初?そうだとしたら。それもなんか得した気分です。
と、ちょっと面白いことをしていた6月前半でした。みなさんも、良い6月をお過ごしください。(って、6月中にはまた更新しまーす。)
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